新聞記者 司馬遼太郎 の商品レビュー
「小説より歴史がすき、歴史よりも新聞記者がすき、新聞記者よりもあそぶのがすき」。作家としての司馬遼太郎論は汗牛充棟、数多くある中、他にはほとんど描かれたことがない新聞記者・福田定一としての若きジャーナリスト時代の日々。記者時代を知る人々の証言をもとに「記者時代の司馬さんはどんな取...
「小説より歴史がすき、歴史よりも新聞記者がすき、新聞記者よりもあそぶのがすき」。作家としての司馬遼太郎論は汗牛充棟、数多くある中、他にはほとんど描かれたことがない新聞記者・福田定一としての若きジャーナリスト時代の日々。記者時代を知る人々の証言をもとに「記者時代の司馬さんはどんな取材をし、どんな記事を書き、どんな酒を飲んでいたのか」を生き生きと描いた。 何人たりとも、職業人として得た、ものの見方から逃れられることは、出来ない。その人を理解するには、その職業も理解する必要があろう。 本書では、タイトルにあるとおり、新聞記者としての司馬遼太郎を取り上げた本である。復員から新聞記者となり作家となる司馬の経歴を俯瞰したとき、エピソードに事欠かかない。 もともと、産経新聞の記者(出版局次長で退職)であったということもあってか、司馬を讃える内容となっているが、司馬が「生まれ変わっても産経新聞の記者になる」と言というほど、司馬が新聞記者という職業を愛していたことは面白く、新聞記者であるという視点は作品に大きな影響を与えていることであろう。 気になったエピソードがある。司馬がデスクの時に、対談の内容を面白くするため原稿にはない事を加筆したこと(p135)と、連載小説の原稿が届かなかった時に、勝手に代筆し載せたこと(p139)である。 事情は色々あろう、当時の世相もあるかもしれないが、例え文化部とはいえそのような事をしても良いものなのか、本書では、司馬を讃えるエピソードとして取り上げられているが、私としては大変気になった。 司馬は「新聞は面白くなくてはいけない」と言っていたという。エピソードにもあるように、読者を喜ばせるために、筆を滑らせたことがあるかもしれない。小説なら尚更であろうし、面白くフィクションをちりばめるのが小説であろう。ゆえに読者はフィクションという事を理解して楽しむのがマナーであり史実とし混同してはいけまい。 新聞は取材した事柄を煮詰めて記事にする。司馬が参考文献を明記しない事などは、新聞記者だったためであろうか。 本書は、司馬が所属していたという利点を十分に生かした産経新聞ならではの内容となっている。司馬遼太郎の評伝を補完するものであり、ファンならずともお勧めの一冊である。
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