西江雅之自選紀行集 の商品レビュー
昔この人の本を読んで、異世界観に漂ったことを思い出した。高校生ぐらいだったと思う。 中でも記憶に残っているのは、ナイロビの売春婦の描写だった。 肉感的であり、即物的。かつ観念的。異世界でありながら、確実に自分と地続きの人間。 これは、異性そのものなのだ。 明らかに連続し...
昔この人の本を読んで、異世界観に漂ったことを思い出した。高校生ぐらいだったと思う。 中でも記憶に残っているのは、ナイロビの売春婦の描写だった。 肉感的であり、即物的。かつ観念的。異世界でありながら、確実に自分と地続きの人間。 これは、異性そのものなのだ。 明らかに連続しているのだけど、明白に違う。その遷移過程には区切りを入れようがない。区切りはあるにはあるが、すべて便宜的な社会通念にすぎず、それを超えることがたぶん性なのだが、そのすそ野は思っているよりも広く、区別も定義もできない・・・ 闇夜に川のほとりに立っているような気分。そういうものなんだ、って。(むろん当時の私にここまで明瞭に言語化できたわけではないが。) それまでの私にとって、性とは、「好きな子」や「告白」や「ポルノ」だった。いわば記号だった。 それが、全く違う様相を持って、精神というよりも脊髄に響いたような気がしたものだった。性的成熟で人間を測るのならば、私はこの段階で大人になったようなものだ。 自分の性的嗜好のかなり根深い部分に、この人のメガネを通した光景がビルトインされたんだなぁ、と今になって思う。 私の性の原風景には、ニャンブラ、ンジェリ、ワンジルがいたのだと、再発見した。 感謝すべきなのかな。
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