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映画美術に賭けた男 の商品レビュー

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2013/03/11

どうして映画作りについて書かれた本はこんなに面白いのだろう。著者の言葉を確かめるために、川島雄三監督の『幕末太陽傳』を棚から取り出し、ビデオで見てみた。結局はじめから最後までもう一度見直す羽目になってしまったが、結果は大満足である。品川の土蔵相模のセットのスケールの大きさ、オープ...

どうして映画作りについて書かれた本はこんなに面白いのだろう。著者の言葉を確かめるために、川島雄三監督の『幕末太陽傳』を棚から取り出し、ビデオで見てみた。結局はじめから最後までもう一度見直す羽目になってしまったが、結果は大満足である。品川の土蔵相模のセットのスケールの大きさ、オープンセットで作られた品川宿の佇まい、どれも映画撮影所が元気だったころの輝きに満ちている。あれだけの舞台を作られては、役者も監督もその気にならずにはいられまい。 著者は、ムーラン・ルージュの舞台装置の仕事から映画界に入り、木下惠介や川島雄三、それに今村昌平などの監督による数々の名作を担当してきた美術監督の草分け的存在である。なにしろ名匠巨匠揃いである。さぞかし面白いこぼれ話が聞けるだろうと思いきや、その種の話は少ない。美術監督という仕事は忙しく、昼間は監督のロケ・ハンにつき合い、夜は徹夜で図面を引く。できた図面を持って撮影所に来たらすぐセット作りの打ち合わせ。午後はまたロケ・ハンというスケジュールでは、監督や役者とつき合っている暇はないのだ。 語られるのは、専ら美術監督の仕事を通して見た映画作りについての打ち明け話である。そんな中で、こと美術に関してはそれぞれの監督ならではと思える逸話が語られる。たとえば、木下惠介監督の『女の園』撮影時の話である。庭から差し込む光が窓枠の下部にあたる膳板を白く光らせる写真がほしいのだが、いくら照明を当ててもうまくいかない。木下監督は、その部分を白チョークで塗らせたという。結果的にはいい写真が撮れたのだが、これは嘘である。外からの光が差し込んでいるのなら、その部分は硝子窓の最下部の板の影になるはずである。 しかし、映画では効果的な場面になっている。著者は「嘘の本当ですね」と言っているが、これこそ映画である。白いものをただ撮れば白という色が感じられるのではない。マルセル・カルネの『北ホテル』で美術監督をやったアレクサンドル・トローネは壁を白く見せるためにピンクか何かのペンキで塗らせたという。また、有名なヒッチコックの『断崖』では、ケーリー・グラントがミルクの入ったコップを持って階段を上るシーンで、撮影のハリー・ストラドリングは、ミルクの白さを際立たせるためにコップの中に豆電球を忍ばせたともいう。 それでは、うまく嘘をつけばいい映画が取れるのかというとそれは違う。『二十四の瞳』は、オールロケだと思われているが、ほとんどがセット撮影であった。大抵の人は気がつかないが、日活の美術監督をしていた小池一美は小豆島の瓦ではないと後に日活に移った著者に指摘したという。『二十四の瞳』は、数々の賞を取りながら、オールロケだと思われたために、美術賞を逃している。著者は、それを名誉なことだと言う。それだけセットがドラマに溶け込んでいたのだからと。それだけに、映画を見た人が、あれは美術の仕事だと分かる仕事はしたくなかったのだろう。 映画は総合芸術だといわれる。一本の映画のかげに何百人というスタッフが動いているからだ。優れた才能がなくては確かにいい映画は作れないだろうが、優れた才能だけでもまた映画はできない。そのセンスやアイデアを形にしていくために多くのスタッフがいる。そして、そのスタッフが受け持つひとつひとつの仕事にもまた専門的な技術が隠されている。撮影所システムというものが確立していてこそ、それらの技術が継承されていく。優れた才能は、これからも日本映画界に登場するかもしれない。しかし、その才能を具現化する技術は果たして残っているだろうか。日本映画の黄金期を支えた美術監督の話を聞きながらそう思った。(岩本賢児・佐伯智紀編)

Posted byブクログ

2011/07/19

映画美術監督を100本以上担当した著者、あまり評価されにくい仕事だか実は最も重要な分野と言っても過言でないことを知った。

Posted byブクログ