「唯識」という生き方 の商品レビュー
第1章 いったい「なに」か(「自分」を追求する;「心」を観察する;「もの」の存在を問う) 第2章 「いかに」生きるか(他者との関係の中に生きる;現代の諸問題に立ち向かう) 著者:横山紘一(1940-、福岡県、仏教学)
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これまでに読んだ本ベスト3のうち、ショーペンハウアーの「幸福について」を4位に下げて、本書を3位に入れた。ショーペンハウアーは仏教精神そのものであるが、仏教の根本思想である「唯識」について書かれた本書がその座を奪う、やはり仏教には凄さを感じる。 偶然にも著者の横山紘一先生から月...
これまでに読んだ本ベスト3のうち、ショーペンハウアーの「幸福について」を4位に下げて、本書を3位に入れた。ショーペンハウアーは仏教精神そのものであるが、仏教の根本思想である「唯識」について書かれた本書がその座を奪う、やはり仏教には凄さを感じる。 偶然にも著者の横山紘一先生から月に一度ほどお話を伺える機会があり、その席で 「自著を書いている時たまに、『私は天才ではないか』と思えることがある」 と仰っていたように思うが、本書を読むと、それは強ち外れではないような気がしてくる。 3ヶ月ほど前から、印象に残った本の一節や知人の言葉をiCloudのメモに控えているが、本書から引用した一節でそのメモの大半を占めてしまった。どんな悩みを抱えている人であれ、生きる目的を失っている人であれ、本書を読むと心が浄化されたような気になる。(「著者と面識があるようだし賞賛し過ぎではないか?」との声もあるかもしれないが、私は極めて公正な意見を書いている) この「ような気になる」を「浄化された」に変えるためにも、身心あげて何かに打ち込み、成りきることが大事なのであろう。 ただ仏教的な前提知識云々ではなく、老若男女問わず人や世の中や物事を多少なりとも「わかっている」人でないと本書は響かないかもしれない。自惚れに満ちた誤解を招く言い方ではあるが…。 例えば、本書でも触れられていたように「他人に迷惑さえ掛けなければ、何をしてもいいじゃん」という考えの方。そういう方を否定するわけではないが、是非本書を手に取って「如何に自分が生かされているか」に少しでも気付いていただけたらと思う。 翻訳版がアメリカでも出版されるらしい。是非とも多くの人に手に取っていただきたい。
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2011.11.11 ○唯識はただ識のみ、一人一宇宙というけど、外部にはなにもないの? たとえば富士山を見たとき、心の中に富士山の像ができるたとしても、見ていないとき富士山はないの? 阿頼耶識の中にある。 阿頼耶識の中に一切がある。 ○一人の阿頼耶識の中にすべてがあるのならば、「縁」って存在しないの? 「縁」はある。 たとえば、ある小説を読んで感動したとき、その小説の作者がその小説を書いたことを「縁」として、自分の中にもともとあった、その小説を再現する力、すなわち「因」が働き、その結果として感動する。 ○その「縁」も阿頼耶識の中にある? そう、阿頼耶識の中に一切がある。 ○みんな、それぞれ阿頼耶識をもってるの? そう、一人一宇宙。 ○ほかの人のなかに、ぼくもいるの? そう、阿頼耶識の中に一切がある。 きみは、ほかの人の阿頼耶識の中にいる。 反対に、きみの阿頼耶識の中にみんながそれぞれいる。 ○ということは、阿頼耶識は一人ひとりの中にあるとともに、実は宇宙に一つしかないということなの? ・・・・・・
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