上田閑照集(第7巻) の商品レビュー
『エックハルト』(講談社学術文庫)を再編集して収めている。著者自身の宗教哲学的立場からエックハルトの解釈、評価などをおこなった論文は、「非神秘主義―エックハルトと禅」というサブタイトルをもつ第8巻にまとめて収録されており、本巻では、エックハルトの思想が歴史的コンテクストとの関わり...
『エックハルト』(講談社学術文庫)を再編集して収めている。著者自身の宗教哲学的立場からエックハルトの解釈、評価などをおこなった論文は、「非神秘主義―エックハルトと禅」というサブタイトルをもつ第8巻にまとめて収録されており、本巻では、エックハルトの思想が歴史的コンテクストとの関わりの中で描き出されている。エックハルト研究史の概観もあり、エックハルト研究への導きとしても役立つ。 エックハルトは、正統なキリスト教神学を身に付け、ローマ教会からも厚い信頼を得ていたにもかかわらず、晩年にその神秘主義的な思想が異端として断罪されることになった独創的な宗教家だ。著者はこのエックハルトの思想を紹介するにあたって、正統的キリスト教神学と神秘主義思想とのつながりを考察している。 著者は、エックハルトの生きた時代に大きな問題となっていた、キリスト教神学における信仰の立場と、イスラム圏から伝わったアリストテレス哲学を根幹に置く理性の立場との葛藤に触れている。この葛藤を解決するために力を注いだのがトマス・アクィナスだった。彼は信仰の立場と理性の立場とを分断するのではなく、信仰の内に自律的理性に固有の作業領域を確保することで、理性の立場を受け入れる道を切り開いた。しかしこうしたトマスの努力は、キリスト教の正統的教義を、理性的立場との葛藤の中で言葉によって弁証し、正統と異端との境界を設定する行為にほかならない。 エックハルトは、トマスによって整備されたキリスト教神学の下でみずからの信仰と思想を深めていった。彼は『神の慰めの書』の中で、神が被造物の内に置き入れた「善性」は、神によって創造されたものでもなければ、人間によって作られたものでもないという。その意味で、私たちの内にある善性は、善性そのものによって生み出された善性の子である。むろん「生む」神と「生まれる」人間という区別はあるものの、そこには善性そのものという「一つ」のものしか存在していない。 ここに、エックハルトが正統的キリスト教神学についての深い理解が認められるとともに、善性の「一」への志向が、神のうちへ向かって神自身をも「突破」する後年の神秘主義への予感を含んでいると著者はいう。そして、この予感が現実のものとなり、正統と異端との境界を設定する神学的な言説のレヴェルを踏み越えてゆくとき、エックハルトの神秘主義思想が成立する。だがまさにそうした理由によって、彼の思想は正統的キリスト教神学の側から異端として排除されなければならなかったのである。
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