高きを求めた昔の日本人 の商品レビュー
昔ってどういう風に建物を建てたのか、建物のもつ意味や使われかたについて。1999年行われた「高きを求めた昔(いにしえ)の日本人」というフォーラムの討論会の収録+フォーラムのパネラーによるコラムからなる。法隆寺や姫路城の構造図や建築方法の図など多し ●丸柱って手間かかるのか・・・...
昔ってどういう風に建物を建てたのか、建物のもつ意味や使われかたについて。1999年行われた「高きを求めた昔(いにしえ)の日本人」というフォーラムの討論会の収録+フォーラムのパネラーによるコラムからなる。法隆寺や姫路城の構造図や建築方法の図など多し ●丸柱って手間かかるのか・・・ 「法隆寺塔の心柱の断面は八角形となっていることに注意していただきたい。一般に社寺建築の丸柱は、丸太をもってきて建てたように思われがちであるが、実は丸柱の工作には多大の手間がかかっている。つまり、まず木材は表面付近の腐りやすい白太(しらた)の部分を削り落として、赤身の部分だけを用材とする。また、梁や貫を組みつけるためのほぞ穴などを正確に加工するにも、丸太のままでは墨が打てない。そのため丸太を打ち割って、「チョウナ」などで仕上げていったん角材をつくってから、墨を打って、芯出しをし、ほぞの加工を施すのである。それから、断面を四角から八角、十六角、三二角と順次面を落として、最後に丸柱に仕上げる。このように丸柱は施工手間が非常にかかるので、見えないところは、この心柱のように八角形の仕上げで納めることも多い。」p75 ●神社建築の源流 よく言われるのは・・・ 「当初は建物をもたず自然を祀るだけのものに、仏教の影響などで神社建築が成立したという考え」p166 こんな考えもある・・・ 「祭政未分離の古墳時代、人、神が入ることのできる大きな「高殿」がつくられた。祭政が分離した奈良時代、人は入らなくなったが建物の大きさは踏襲され、出雲大社の大社造、伊勢神社の神明造が成立。その後、人は入らず神が降臨するだけの依代として、小さな流造や春日造が出現した」p165-66 心柱の覆屋説も・・・ 出雲大社の心御柱(しんのみはしら)や伊勢神宮の心御柱は屋根を支える構造的な役割を果たしていない→心御柱が神が天から降り宿る御神体ではないのか、長野の諏訪大社の御柱のように。伊勢神宮の床下にある心の御柱は忌柱(いみばしら)とよばれて神聖視されている。→神社本殿は神聖な柱を守るための覆屋では。縄文遺構から多数発掘される感情列木も祭祀の空間と考えられ、直立する掘立柱に対する柱信仰は古くからこの国にある。→建築の構造と無関係である塔の心柱も柱信仰の一端で、塔は心柱の覆屋、中尊寺金色堂にあるような一種の鞘堂ではないか。 p206-9 ●壁立ちと柱立ち ヨーロッパでは壁が建物と屋根を支えるのに対し、日本では柱が支えている。別の言い方では、ヨーロッパが組績式(そせきしき)、日本が架構式。 p180~ ●2階の利用 「日本で二階を利用するようになったのは鎌倉・室町からだよ」p210 それまでは、登るのではなく見せるための建物。建築技術の問題ではなく、力や権威を見せるためという意志の表われによってそうなったのではないか。
Posted by
- 1