スモール・イズ・ビューティフル再論 の商品レビュー
経済学に精神性を。 理想主義者という人もいますが、産業革命以前はこれが当たり前だったのではないかと思います。
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圧倒的名著。 7つの大罪論や、仏教経済学など、今こそ輝くシューマッハー独自の理論、視点がたっぷり詰まった豪華な一冊。 人新世の『資本論』を読んで納得した人に、人新世〜の次に読んで欲しい一冊。
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年末年始に落合陽一氏か誰かが「仏教経済学」について推奨してしていたので借りて読んだ。が、流石に古くさいというかナイーヴ過ぎるような。。 第二章 1 仏教経済学 (1968年の論文)P56 仏教経済学が適正規模の消費で人間としての満足を極大化しようとするのに対して、現代経済学者...
年末年始に落合陽一氏か誰かが「仏教経済学」について推奨してしていたので借りて読んだ。が、流石に古くさいというかナイーヴ過ぎるような。。 第二章 1 仏教経済学 (1968年の論文)P56 仏教経済学が適正規模の消費で人間としての満足を極大化しようとするのに対して、現代経済学者は、適正規模の生産努力で消費を極大化しようとする。消費を適正規模に抑える生活様式をとるには、最大限の消費への欲求を満たす場合よりははるかに少ない努力て足りることはだれにでもわかることである。であるから、たとえばビルマではアメリカと較べて、省力機械はほとんど使われていないのに、生活の圧迫感、緊張感は非常に少ないのも驚くには当たらないのである。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
先進国と途上国では技術格差が存在しその格差を埋める為の中間技術は失われていくために技術レベルの円滑なアセンションが行われず両者の格差は拡大する一方である The bugbear of literacy
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名著スモール・イズ・ビューティフルの続編、いくら工業化が進もうが、飢えを解決することはできない。西洋文化の考え方でで全てが解決ですることはないと、東洋思想を取り入れようと言われますが、21世紀の今の現状は、中国・インドとも西洋文化の拡大消費世界にどっぷり使ってますね。
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工業型農業でいくら生産量を増やしても、世界から飢えは解消しない。 農村自身で生産しなければ、根本的な解決は出来ない。 小規模農家が生き残れる道を考えない限り、援助なども所詮ムダに終わる。 小規模、低資本、というのは以前に読んだ「世界を変えるデザイン」に通ずるところがある気が...
工業型農業でいくら生産量を増やしても、世界から飢えは解消しない。 農村自身で生産しなければ、根本的な解決は出来ない。 小規模農家が生き残れる道を考えない限り、援助なども所詮ムダに終わる。 小規模、低資本、というのは以前に読んだ「世界を変えるデザイン」に通ずるところがある気がする。
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この本のほとんどすべての主張に賛同するけれども 唯一気になるところは最後に宗教を持ち出してしまう逃げ道である 例えば「人間には専門技術の追求からくる責任よりも広い責任がある」と言い 「専門性が問題なのではなく専門家におよぼしている忍耐力の欠如と 暴力性に媚びた精神性が問題...
この本のほとんどすべての主張に賛同するけれども 唯一気になるところは最後に宗教を持ち出してしまう逃げ道である 例えば「人間には専門技術の追求からくる責任よりも広い責任がある」と言い 「専門性が問題なのではなく専門家におよぼしている忍耐力の欠如と 暴力性に媚びた精神性が問題なのだ」としている事と 「化学・権力・富・を手段ではなく目的としてしまう間違いを冒している」 と言う下りと 「忍耐強く寛容な心を持って正しい優先順位と真実の価値尺度を作り直す事しかない」と言う主張と 「そのためにどんな職種に就いたとしても(キリスト教徒の)責任だと信じている」 と言うところなどに共通の問題を感じる そこに幸福のためには耐え忍ばなければならないと言うマイナーな思考が 付きまとっていることを感じてしまうからであって 幸福とはもっと開かれきって満たされているものでなければ ウソでしょうと言う気持である マゾヒスティックな幸福論だけでは心を半分しか満たせないだろうと言うことで 全面解放の喜びであってこそ得られる対等観が必要なのだと思うからである 少なくとも目的をそこにおいてなければ 中心も軸も拠り所も見い出せずに堂々巡りの悩みに溺れて行くしかないことになる それではおびえた中での安堵以外に一瞬の幸福さえ得られないだろう と言うこと以外のすべてに同感であり 身を持って日々実行することを心がけていきたいと思う
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1973年当時にすでに、原子力の危険性を主張していた先見性のある著者。非常に素晴らしい。開発経済学の座右の本。これからの社会は、小さくあるべきであろう。小さいことこそ、素晴らしい。
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日本人が欧米に追いつこうとしていた頃、欧米では自ら作り出した経済の仕組みに疑問を持ち、却って東洋を研究している人がいる。 ●二十世紀の欧米文明は地球の資本に寄生しているにもかかわらず、市場型の消費社会に突き進んでいる。 欧米人の科学的思惟は「霊性の破産」となって帰結している。 ...
日本人が欧米に追いつこうとしていた頃、欧米では自ら作り出した経済の仕組みに疑問を持ち、却って東洋を研究している人がいる。 ●二十世紀の欧米文明は地球の資本に寄生しているにもかかわらず、市場型の消費社会に突き進んでいる。 欧米人の科学的思惟は「霊性の破産」となって帰結している。 ●「仏教経済学」は仏教徒の生活様式が生み出すような経済学。仏教的な観点からの仕事は、人間に能力を発揮・向上させる場を与え、自己中心的な態度を捨て、生活に必要な財とサービスを作り出すこと。欲望を増長することではなく、人間性を純化すること。 ●「中間技術」は人・環境にやさしく、高度技術につきものの資源枯渇・雇用喪失なしに農民に大きな助けとなるもの。 ●巨大技術・大組織は人間性に反する。経済学は人間価値・人間の霊的成長に奉仕すべきもの。だから、スモール・イズ・ビューティフル(小さいことはすばらしい)。仏教の中道を目指す。 ●消費は人間が幸福を得る一手段に過ぎない。最小限の消費で最大限の幸福を得ることに注目すべき。 ●ガンジー主義の核心は、開発は主として下から来るのであって、上から政府からではないとする考え方。真の創意ができるのは権力のないボランタリー団体であり、公共資金で裏打ちされた民間の努力である。 ●「自然と宇宙の征服」「探求への抗いがたい欲求」「際限のない経済発展」これらは暴力に繋がる概念である。人間には「罪」といわれる道徳的な弱さと「無知」といわれる知的な弱さがある。暴力の根元にこれらがある。さらに文明、科学主義、合理主義という形での客観性重視の姿勢は、心を軽視し、無制限の暴力を引き出す。 ●創造力に溢れた個人によらずには何事も成就しない。ただし個人だけでは何事もできず、受身の多数者の支援と協力を得る必要がある。この逆説的な問題を解決しうるのは・・・大苦難か大英知である。
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シューマッハーの死後、奥さんがまとめた論文集。 前著に引き続き、非常におもしろいものばかりでした。 仏教経済学と土地の利用のところは前著と同じ論文やった。 現代の世界に住む私たちは以下の3つの幻想で自分たちをごまかしてきたと彼は言う。 1、安価な燃料と原料が無尽蔵に供...
シューマッハーの死後、奥さんがまとめた論文集。 前著に引き続き、非常におもしろいものばかりでした。 仏教経済学と土地の利用のところは前著と同じ論文やった。 現代の世界に住む私たちは以下の3つの幻想で自分たちをごまかしてきたと彼は言う。 1、安価な燃料と原料が無尽蔵に供給されるという幻想 2、ごく低い報酬で、退屈で機械的でうんざりする仕事をあえてやろうという労働者が、これも同じく無限にいるという幻想 3、科学と技術がやがて、もうすぐすべての人を豊かにするので、余暇と財産を一体どうあつかうかという問題だけが残り、他の問題が消滅してしまうだろうという幻想 でも今の世界に生きている私たちはこれらが幻想であるということを知っている。しかし、今のシステムを抜本的に変えようとはしない。諦めにも似た気持ち。 「…なにか新しいこと、たとえば新しい生活様式を編み出したり展開させたりするのは、苦労が多すぎ、おそらく気も動転するようなことであるから、「意識することの拒否」といううまい名前のついている、人を安心させる大がかりな心理操作に耽りたがるのである。」 結局人間は自分が生きてる間だけ何とかなればいいんやろうか。 でも、危機は私たちの孫の世代にたどりつくかそれより前に訪れるんちゃうやろうか。石油枯渇予測からいえば。 自分が生きてる間もどうにもならんとしたら、その危機感がもっと高まったら、抜本的に変えようという意識は高まるか?それとも自分たちだけでも、という争いが増えてしまうだけなんか…危機が高まった時に後者ではなく前者に導くためには何をすればいいんやろう。 「私は現在の生活様式の維持継続をますますむずかしくする事実の論理が、人間性に強い圧力を及ぼすだろうと信じている。この圧力には事前の沈着な思慮をもって対処し、創意工夫で対応することができる。これができれば、よしんば経済の代謝率を落とさねばならぬとしても、われわれの文明の将来に絶望するいわれはあるまい。歴史のどの世代とも比較にならない科学知識と技術力に恵まれているのだから、かつて経験したことのない、満足のゆく生活をかならず築けると信じていけない理由があるだろうか。」 楽観的すぎるかもしれん。でも希望持たないとやってけない。 加えて、今回の著作で再び農業の重要性について認識することができた。 序文のジョン・パップワース(友人)の言葉「植林と森林農業が人類の未来と地球の健康をまもるただ一つの途だ」や、 「人間は食物を手に入れてはじめて他のことをすることができる。したがって、大急ぎでおこなうべきことは-第三世界の飢えとの戦いという観点から、あるいは将来の石油不足に対処するための、先進国での新しい生活様式の開発という見地からも-農業の方法と政策を再検討することである。」、そして開発問題を論じてる第五章から。 日本にとっては、農業政策の見直しについては今後もう少し行われると思う。ここまで海外に頼ってたらまた食糧危機が起こった時…しばらくはお金で何とかなるかもしれんけど。 開発という観点からいえば、農業(自然農法、伝統的農法)は労働集約率が非常に高いから人口の多い途上国での組織化、健全な合理化は必要やと思う。成功してる国もあるとは思うけど。 で、外部不経済の問題は基本的に放置され続けてるけどいくら生産が合理的でも輸送でエネルギーめっちゃ消費するんやから地産地消をもっと進めていけるシステム作り大事やなーと思う。フードマイレージとかが実現したら進むんかな。 後、私が普段から思ってた不満というか懐疑心を表しているのがこちら。 「豊かさが増すにつれて、現状を維持するだけの費用がかさみももはや健康の向上が問題ではなく、ただ生き長らえさせることが目的となる。」 医療は発達する。でも私たちが今口にするものにはたくさんの化学物質が含まれていたり、ばらまかれる農薬や中東で発生した放射能が風に乗って私たちの体内に入る。新たな病気が誕生する。そしてそのための医療技術の開発が行われる… 「人間とその環境との関係を調和させるのに成功するチャンスは、十分が善で、十分以上は悪だとする生活様式の思想が現れないかぎりは、訪れない。」 今でも世界の大部分の人間は自分の信仰する宗教などから節制の精神を心にもっている。キリスト教にはそんなもんはなかったのかといえば、そうではない。キリスト教で4つの基本道徳の一つ。 多くを求める。それを得る。そしたらより多くのものを求める。そうする中で貪欲と妬みがあらわれて人間性を破壊してしまう。 結局、私たちが世界を救うために向き合わなあかんのは自分たち自身であって、自分たちの生き方だと思った。
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