民族とナショナリズム の商品レビュー
明確な定義を得ずに語られがちな2つの概念について、正面から向き合って分析、説明を試みている。ソ連現役の頃の著作なだけに現状の複雑さを説明しきれていない部分もあるが。手強いが良書。今後、この手の議論が盛んになるだろうが、その際に基礎的素養として押さえたい。あくまで定義や分析に徹して...
明確な定義を得ずに語られがちな2つの概念について、正面から向き合って分析、説明を試みている。ソ連現役の頃の著作なだけに現状の複雑さを説明しきれていない部分もあるが。手強いが良書。今後、この手の議論が盛んになるだろうが、その際に基礎的素養として押さえたい。あくまで定義や分析に徹しており、ほとんど善悪は問わず、評価、予測なども行っていない。
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ナショナリズムの近代主義者三人のうちの一人、ゲルナーの本です。ゲルナーは、社会が前近代から近代に移行し、そこにおいて流動的な人々をまとめるために学校教育と識字率の向上を国家が主導的に行った事から民族(nation)が生じるとといています。 すなわち、ゲルナーはナショナリズムは、近...
ナショナリズムの近代主義者三人のうちの一人、ゲルナーの本です。ゲルナーは、社会が前近代から近代に移行し、そこにおいて流動的な人々をまとめるために学校教育と識字率の向上を国家が主導的に行った事から民族(nation)が生じるとといています。 すなわち、ゲルナーはナショナリズムは、近代になって生じたものであるとみなしており、こうした見解を採用している研究者を近代主義者(modernist)といいます。 彼の本の展開は非常に説得的で、否定するのはなかなか難しいと思います。 訳も非常に読みやすいので、ぐんぐん引き込まれますし、気づいたら一日で読めてしまった、というぐらいです。 お勧めですよ。
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ナショナリズムに関する古典的著作の一つ。ナショナリズムについて、政治的な単位と民族的な単位が一致していなければならないとする政治原理と簡単に定義付け、ナショナリズムの第3世界におけるその野蛮性や暴力性、排他性が指摘される中で、むしろナショナリズムとは高度な文化、読み書き等の教育...
ナショナリズムに関する古典的著作の一つ。ナショナリズムについて、政治的な単位と民族的な単位が一致していなければならないとする政治原理と簡単に定義付け、ナショナリズムの第3世界におけるその野蛮性や暴力性、排他性が指摘される中で、むしろナショナリズムとは高度な文化、読み書き等の教育の普及と言語的統一、官僚制度や国家的枠組みの発展、そして共同体内部の同質性を持ってして初めて可能になる近代的な愛国主義であると述べる。 ゲルナーの議論は、文化本質主義者や民族等を所与のものと見なす論者への批判としては部分的に有用であるが、現代においてはその欠点をあげれば枚挙にいとまがない。第1に、ネーションと民族、あるいはエスニックなどの定義が不明瞭なままに、定義付けの際に用いられており、定義の破綻が生じている。第2に、ナショナリズムを国家と一体に捉える事で、国家なきナショナリズムを排除しているが、これでは冷戦後の民族紛争やナショナリズムを捉える事ができない。この点については、ゲルナーの定義ではこれらのナショナリズムといわれるものは部族主義であるとされるのかもしれないが、グローバル化と高度な技術の利用が新しい戦争においては見られるというカルドーの主張を鑑みれば、ゲルナーの主張するような前近代的な部族主義として冷戦後の地域/民族紛争を捉える事は適切ではない。第3に、ゲルナーの主張は、後に現れるハンティントンなど(土佐氏の主張を借りれば、恣意的で悪意のある)文化本質主義者に対しては確かに有効な批判になりうるが、同じ近代化論者でもセングハースのように外部との関係を重視し、選択肢は内部の人々自身にあり、進む方向も多様だという温和な近代化論と比して、排他的で一方通行な近代化論にすぎないと批判出来る。第4に、ナショナリズムは、内部に及ぼす作用と外部に及ぼす作用があるが、少なくともゲルナーは後者を軽視、もしくは無視しており、その点で物足りなさを感じる。 その他、あげれば切りはないが、国家と国民が一体である事がある意味で当然視される近代国家発祥の地としてのヨーロッパの研究者の古典的ナショナリズム論としては、まあ仕方がないのかなとも思う。ただ、民族と国家が一致していなければならないという考えは、ソ連内部の共和国形成の際の決定にも指摘出来る事である。まあ、これは民族自決の原則の焼き直しでしかないので、その例外やそれによって生じる後の時代の問題を反映していないので、あまり意味はないが。
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