和辻哲郎 の商品レビュー
岩波書店「20世紀思想家文庫」の一冊を文庫化したもの。和辻哲郎自身すら、その意識への全面的な統合には必ずしも成功していない彼の思索の構想力の基層に迫る試み。 著者は本書を、『歌舞伎と操り浄瑠璃』という、あまり知られていない和辻の晩年の著書の検討からはじめている。そこで和辻は、『...
岩波書店「20世紀思想家文庫」の一冊を文庫化したもの。和辻哲郎自身すら、その意識への全面的な統合には必ずしも成功していない彼の思索の構想力の基層に迫る試み。 著者は本書を、『歌舞伎と操り浄瑠璃』という、あまり知られていない和辻の晩年の著書の検討からはじめている。そこで和辻は、『本朝二十四孝』に見られる夢幻的で不思議な美しさの秘密を解こうとして、それがもとは浄瑠璃劇だったことに解答を求めている。著者はこうした和辻の思索に、フランスの構造主義にも通じる構造変換論的な分析を認めるとともに、それを超える契機を見いだそうとしている。人形芝居は、前代の能楽の含んでいた人間の自然性の否定をさらに否定して、人間の自然性を回復することで、「現実よりも強い存在を持ったもの」や「超地上的な輝かしさ」をそなえた世界を作り出しているように見える。そこに著者は、和辻が明確に意識することなしに、自然性の中に見いだされる構造変換を超えて、象徴的な世界との交感を可能にする想像力へとまなざしを向けていたのだと論じている。 著者は、論文「面とペルソナ」や『風土』、さらには『古寺巡礼』と『古代日本文化』との関係のうちにも、同様の問題を見いだしてゆく。これは、構造の中に時間を回復するというポスト構造主義的な問題状況と一致する。ただし著者は、和辻の思想を、現代思想に接続するのではなく、近代日本における柳田国男や森鷗外の「語り」の時空へと解き放つ。和辻が『ホメーロス批判』において、文献学的な文化史の仕事のうちに、回想と現前とが相互に交流しあう「語り」の次元を見ようとしていたちょうどそのとき、柳田は『物語と語り物』において、現実と想像が交錯する歴史の総体を照らし出そうとしていた。さらに柳田のそうした試みは、歴史叙述における想像力の役割と、虚構の物語に対して歴史のもつ言外の拘束力に触れた鷗外の「歴史其儘と歴史離れ」を踏まえていたのではないかと著者は論じている。 著者の読解によって、和辻の思想が持つ他面的な魅力が引き出されているように思う。
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