二十世紀思想渉猟 の商品レビュー
ドイツ1920年代、いわゆるヴァイマール期は、著者が「現代思想の坩堝」と名付けた思想的激動の時代であった。本著は、この「稀有な」時代の思想地図を多面的かつ横断的に綴った「素描集」である。 「『敗戦によって生まれ、狂乱の中に生き、悲惨の中で死んだ』ワイマル共和国の文化諸領域での実...
ドイツ1920年代、いわゆるヴァイマール期は、著者が「現代思想の坩堝」と名付けた思想的激動の時代であった。本著は、この「稀有な」時代の思想地図を多面的かつ横断的に綴った「素描集」である。 「『敗戦によって生まれ、狂乱の中に生き、悲惨の中で死んだ』ワイマル共和国の文化諸領域での実験的成果、その多産性は、やはりそれとしてきわめて大きな、瞠目すべきものであった。実際、たとえば哲学・思想の場面で今日あらためて問題として考察をせまられている諸問題の多くは、まずこの一九二〇年代のワイマル・ドイツにおいて提起され、先駆的な考究が試みられているのである。あえて私が「現代思想の坩堝」としてこの時代をとらえようとするゆえんである。」(本文より) 第一次世界大戦の敗戦は、ドイツに天文学的インフレによる経済体系の荒廃をもたらし、ヴィルヘルム・ドイツ帝国期の権威主義的社会・国家体制への激烈な批判を生み、人々を縛り付ける封建的な諸価値体系に過酷な闘争を迫るにいった。これはあらゆる既存の形態をとった物事の破壊と創造の極めてダイナミックな空間を生み出す劇薬でもあったのだ。 かくして、「新たなバビロン=ベルリン」を中心とした20年代ワイマル共和国において、「生の哲学」「表現主義」「ダダ」「バウハウス」「神智学」などの新たな哲学的・芸術的思想の源流を急激に発展をとげた。 この時代を通底するものは、「理性」への偏重をニヒリスティックともいえる激烈さで露にし、「躍動する生命」ともいえるような荒々しい人間像を取り戻そうという急進的ユートピア思想である。これは、全てを悟性と計量的思考へと貶めた「カント主義=スコラ学」への攻撃という「形而上学の復権」の動きにもっとも極端な形で現れているといえる。 芸術の分野においても、表現主義、ダダ、バウハウスなどの前衛芸術はその「マニフェスト」に見られるような急進的な活動路線にあるように多分に「ユートピア」的であった。とくに「機能的」都市文明の「総元締め」のように思われ勝ちなバウハウスがこのような思想的水脈を持っていたことは意外であった。 またこの動きが全く超越化してしまった結果としての「神智学者」シュタイナーの躍進、そしてこの動きに呼応した形での、種々の「オカルト主義」の流行ということまで発生したことも特筆に価する。 本書でも触れられているように、以上の様々な動きは豊かな思想的土壌を準備しつつも、一九世紀的ロマン主義の焼き直しになる可能性も秘めており、さらには偏狭なナショナリズム、反ユダヤ主義などの三十年代以降ドイツを絶対的に支配する負の一面とも決して無縁ではなかった。 総体的にいうと二十年代ワイマル期の思想状況がきわめて多様かつ多彩に描かれていると感じる。筆者の豊かな筆力に加え、章ごとの分量も軽く楽しく読み進めることができる。ドイツ思想史には疎い評者は、本書のように多くのトピックから知的横断的に展開されることで得られる内容的な「広がり」が、その実複雑極まりない当時の状況理解するにも非常に助かった。 解説でも述べられているが、本著は『二十世紀思想渉猟』と銘打ってある通り、本来二十世紀の思想史を全体的にカバーする著者のライフワークとなるべき仕事の第一歩ともなるべきものであった。しかし不幸にも、この壮大なプロジェクトは本著の出版の三年後、著者の56歳という若さでの死によって叶わぬものとなってしまったのだった。
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