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ランボー、砂漠を行く の商品レビュー

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2013/03/11

『地獄の季節』『イリュミナシオン』の詩人ランボーは、ある日突然詩を放棄し、交易商人となって、アラビア、アフリカに行ってしまう。その後エチオピアのハラルを拠点にして書かれた所謂「アフリカ書簡」を残すのみで、詩と考えられるものは一切書いていない。この謎は多くの人を虜にした。著者は、従...

『地獄の季節』『イリュミナシオン』の詩人ランボーは、ある日突然詩を放棄し、交易商人となって、アラビア、アフリカに行ってしまう。その後エチオピアのハラルを拠点にして書かれた所謂「アフリカ書簡」を残すのみで、詩と考えられるものは一切書いていない。この謎は多くの人を虜にした。著者は、従来軽視されてきた「アフリカ書簡」を「詩」と同等のテクストとして読むという作業を試みている。もちろん、従来の詩の概念は放棄せざるを得ない。錯乱するイマージュと言葉に溢れた試作品と比べるまでもなく書簡は索漠とした商用文の体裁をとっているからだ。書簡に散見される言葉やランボーのその後の行動を詩作品と対応する作業を通じて現れてくるのは、その詩の持つ驚くべき予見性である。テクストがすべてであるなら、ランボーは既に詩によってその人生を生きてしまっている。著者の意図はともかく、この書からはアフリカにおけるランボーの姿が浮かび上がってくる。その存在の苛烈さは見る者をして言葉を失わせる。世界は言葉によって定着されるが、そこに映し出されたものは既に「物語」と化している。ランボーがアフリカで目にしたものを言葉に表さなかったのは正しい。書くことで存在は風景と化し、事件は物語と化す。ランボーをアフリカに留まらせたものは自己を人間(西欧人)の物語の中からすくい出し、単なる存在として扱うという過酷なまでの意志だったのではないだろうか。

Posted byブクログ

2009/10/04

ランボーを地の果てまで追いたい人向け さらっと知りたい人にはちょっとマニアックすぎるかも ヴェルレーヌみたいにならないように気をつけてね! (※ヴェルレーヌの詩もすてきです)

Posted byブクログ