もうひとつの学校をもとめて の商品レビュー
「チャム」という不登校児が集える場の記録であり、研究者と現場経験者の二人の管理者自らによって綴られたものである。 明治以前には日本中に一般庶民のための私塾が行き渡っていたようだし、 多種多様の私塾がしのぎを削って切磋琢磨し、 あらゆる階層の子供たちを育ててきた。 教師も雇われ者...
「チャム」という不登校児が集える場の記録であり、研究者と現場経験者の二人の管理者自らによって綴られたものである。 明治以前には日本中に一般庶民のための私塾が行き渡っていたようだし、 多種多様の私塾がしのぎを削って切磋琢磨し、 あらゆる階層の子供たちを育ててきた。 教師も雇われ者でなく自分の個性と力量で自在に工夫を凝らし、 生徒や親が好みの塾を選ぶことができた。 しかし西欧化に必死だった明治以後の支配体制は、 中央集権の元にすべての秩序を管理して個性をぬぐい取ろうとした。 自在性と対等性は自由と平等をも飛び越えて古き絶対君主制によって、 民衆にタガをはめた。 教育は真っ先に統制され国民は一色に塗りつぶされ、 それに添えない自分を持ち続ける者をはみ出し者とか出来損ないとか、 精神疾患とか障害者だとして排除してきた。 心を閉ざし知識と応用力を詰め込むだけで国家の労働力になる事を目的とした。 競争世界でピラミッド構造を築き上げた。 競争関係は家庭や地域社会にも損得観を持込み共生関係の実体を崩してきた。 こうして競争社会が都市化を進めるほど弾き飛ばされてしまうことになる。 自分なりの疑問を感じ続ける人間が増えてくる。 それが不登校となり答えを一つにする規律社会にとっての邪魔者ともなる。 「チャム」はそうした理不尽さに悩み居所を失った子供たちの集いの場なのだろう。 家庭や地域や学校の延長線上にある居場所であり、 心を開いてお互いをぶつけ合い磨き合える場を模索する。 場の管理者は大人であると同時にはみ出し組を理解し 可塑性を持った相手として距離を感じ取り向かい合おうとする 結果を求めずに通り過ぎていく経過を大事にする時空間となる場なのだろう
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