遊歩者の視線 の商品レビュー
著者がこれまでに発表した文章をまとめたもの。一つの主題に基づいて編集されているものではなく、エッセー類も含まれているので、全体のまとまりを欠いている印象。 著者はベンヤミンの思想を、文学的通人の「秘教的」(esoterisch)偶像にしてしまってはならないという立場を採っている...
著者がこれまでに発表した文章をまとめたもの。一つの主題に基づいて編集されているものではなく、エッセー類も含まれているので、全体のまとまりを欠いている印象。 著者はベンヤミンの思想を、文学的通人の「秘教的」(esoterisch)偶像にしてしまってはならないという立場を採っている。本書では、ベンヤミンの思想の「公教的」(exoterisch)な傾向として、マルクス主義への接近が念頭に置かれている。著者はこうした立場から、ベンヤミンへのマルクス主義からの影響を小さく見積もろうとするG・ショーレムやアドルノの理解を批判する。これに対してハーバーマスは、ベンヤミンへのマルクス主義からの影響を正当に評価していた。だが彼は、そうした社会批判的な側面と、ベンヤミンに生得的にそなわっていた秘境的なものに向かう傾向を架橋することはできなかったと著者はいう。 では、この鋭く対立しているように見える二つの精神的極が、ベンヤミンの中でどのようにつながっていたと考えればよいのだろうか。著者は、ベンヤミンと同様の精神的気質の持ち主であったE・ブロッホの思想に手がかりを求める。著者によると、ベンヤミンの「根源」(Ursprung)の概念には、ブロッホの「憶想」(Eingedenken)の概念からの影響が認められる。ブロッホの「憶想」は、M・エックハルトのsynteresisのドイツ語訳に由来しているが、ブロッホはこの概念を、プラトンの「想起」と対立するものとして用いていた。プラトンの想起は、人がかつて見た天上のイデアの記憶に基づいて、地上の目にするものをイデアと関係づけることを意味している。これに対して「憶想」は、既成のものの中からそこにひそむ「未完結なもの」を救出し、それをまだ存在しない一者、すなわちメシアへと向ける心の働きを意味している。 ブロッホは、メシアへと向かうユートピア的発想を保持していた。ベンヤミンの『パサージュ論』では、こうしたブロッホの発想を受け継ぎながらも、過去の「廃物」を機能的連関から切り離して配列することに関心が向けられている。こうした理解に立つことで、ベンヤミンの秘教的側面を、ブロッホの思想に見られるユートピアへの志向を過去へのまなざしへと反転させたものとして解釈する道が開かれると著者は考えている。
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