聖の青春 の商品レビュー
オススメにあがってきて手に取った本。 将棋には疎くて、全く知らなかった村山聖さん。 幼児期にネフローゼになり闘病しながら、29歳でお亡くなりになるまでがむしゃらに名人を目指す姿に、ただただ感銘を受けた。 ご本人の実直な人柄が伝わってきて、周りの人々に愛されていたことにも納得。 ...
オススメにあがってきて手に取った本。 将棋には疎くて、全く知らなかった村山聖さん。 幼児期にネフローゼになり闘病しながら、29歳でお亡くなりになるまでがむしゃらに名人を目指す姿に、ただただ感銘を受けた。 ご本人の実直な人柄が伝わってきて、周りの人々に愛されていたことにも納得。 (お風呂に入らないとか、汚部屋はビックリだけど) 息子が好きだと思ったもの、命をかけてやり遂げたいと思ったことを全力でサポートするご両親にも頭が下がる。 映画にもなっているみたいなので、観てみたいなと思った。
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10年以上前に、アルバイト先の先輩から、面白いからぜひ読んでほしいとプレゼントされた本(中古やけど)、そこからずっと本棚にいて、今回作者の方が亡くなられたと見たので、今読むべきではないか?と思い読み始めました。 将棋のことはぜーんぜん知りません。でも、不器用な聖のことが好きにな...
10年以上前に、アルバイト先の先輩から、面白いからぜひ読んでほしいとプレゼントされた本(中古やけど)、そこからずっと本棚にいて、今回作者の方が亡くなられたと見たので、今読むべきではないか?と思い読み始めました。 将棋のことはぜーんぜん知りません。でも、不器用な聖のことが好きになったな。 聖が村山家に生まれて、病気になったから将棋と出会って、そのまま強くなれたのかもしれない。人は大きなものに突き動かされている。 聖が手術から戻ってきて、対局をしたとき、先崎が「無神論者の僕だが、あの状態で、あれだけの将棋を指す奴を、将棋の神様が見捨てる訳がない。本心からそう思えてならなかった」と書いていたけれど 最後の羽生善治さんとの対局で、彼は神様からは見放されたのだと思った。 だけど今この感想を書きながら、神様からの愛され方にもいろいろあるかもしれないなと思った。 周りの棋士から愛されること、こうやって本になり将棋を知らない人にまで存在が伝わること、これも愛されたことによる余波かもしれない。 将棋、ルール知ってみたいかも。。。
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将棋には全く興味ないし、こんなわがままで不潔で頑固な人間大嫌いなんだけど、最後まで読んでしまった。私からみたら迷惑以外の何物でもない行動の数々をみんなが不思議と受け止めていたように、この棋士の生き方にそれだけ魅力があったんだろうか。褒められたものではないと思う、私が親ならひっぱた...
将棋には全く興味ないし、こんなわがままで不潔で頑固な人間大嫌いなんだけど、最後まで読んでしまった。私からみたら迷惑以外の何物でもない行動の数々をみんなが不思議と受け止めていたように、この棋士の生き方にそれだけ魅力があったんだろうか。褒められたものではないと思う、私が親ならひっぱたいてでも言うこときかせてた。でもそうしたらこんな子は育たなかったんだろうなぁ。巡り合わせってすごいなぁと思えた作品。
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実話の持つ重み。結末に向けての緊迫感。人間味にあふれたすごい棋士がいたことを知ることができてよかった。
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自分の人生を本気で生きるってこういうことなんだと思った。純粋で潔くて、眩しい。他人の目なんか気にしている時間がないからこそ自分の心に正直でいられたのかな。 最期をわかっていながらも、まだ、生きていて欲しいという思いで読み終えた。 森先生の人への関わり方も素敵だった。正しいことで...
自分の人生を本気で生きるってこういうことなんだと思った。純粋で潔くて、眩しい。他人の目なんか気にしている時間がないからこそ自分の心に正直でいられたのかな。 最期をわかっていながらも、まだ、生きていて欲しいという思いで読み終えた。 森先生の人への関わり方も素敵だった。正しいことではなくその人に寄り添うこと。短くても気持ちが伝わる言葉だった。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
村山聖九段の壮絶な人生を近くで共に歩んだ気持ちになった。 実際に彼と接した人たちの彼を失った喪失感には遠く及ばないが、彼の死にとても大切な人を失った気持になった。 村山聖という魅力にあふれた人物を教えてくれた著者とこの本に感謝したい。
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棋士・村山聖の生涯を書いた本。エピソードなんかは多少は脚色されてるだろうけど、きつい病気と戦いながら、A級まで若くして登りつめたのや、途中で出てくる対局の逆転の一手とか見るとほんとにすごいの一言。実際そばにいたらケンカになりそうな人だけど。
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読み進めるにつれ、村山棋士の名人への挑戦がこのまま終わってほしくない、この物語が終わってほしくない、という気持ちになった。ぬるすぎる自分の生き方を恥じ、前向きに生きていかなければならない、と切に感じた。村山のA級昇級時の言葉にある、「これからが本当の勝負」。そう思い続けたい。 ...
読み進めるにつれ、村山棋士の名人への挑戦がこのまま終わってほしくない、この物語が終わってほしくない、という気持ちになった。ぬるすぎる自分の生き方を恥じ、前向きに生きていかなければならない、と切に感じた。村山のA級昇級時の言葉にある、「これからが本当の勝負」。そう思い続けたい。 ・森は一目で聖を弟子にすることにした。はじめて聖を見てからその決断をするまでに5秒もかからなかった。卑屈さがないのがよかった。重い病気と闘ってきた強い意志を感じさせる目がよかった。まくり上げたワイシャツも裸足でいることさえも、森にとっては清々しいものに思えた。容貌も態度も何もかもなっていなかったが、それがかえって森の心を大きく動かした ・「終盤は村山に訊け」どんな難解なトッププロの終盤戦でも、村山が詰むといえば詰む、そして村山が詰まないといえば詰まない ・シンプルでしかし精神的には豊かな生活基盤を築き、村山はその線路の上をぐるぐると回りながら、実力を養っていった。それはまるで、単純な生活の繰りかえしの中からしか、成長は生まれてこないことを確信しているような端然とした生活ぶりであった ・人はいつかこう言うようになった。「東に天才羽生がいれば、西には怪童村山がいる」と ・「今は午前3時、僕は考えている。何故A級八段になれたのだろう。体も弱いし将棋も余り強くない僕が、何故?神様のすることは僕には予測出来ない事だらけだ。願う事は、これからの僕の思い描いた絵の通りに現実が進んでいく事だ。これからが本当の勝負、そう思っている」 ・村山はいつどこにいても生のままの村山だった。病気と闘い、将棋に打ちこむことで精いっぱいだった村山はそれゆえに純粋で無垢な、ありのままの自分自身をさらけ出すことしかできなかったのである。そんな村山は東京の棋士たちにある種の憧憬の念をもって受け入れられた。自分の言葉を恐れず飾らず、そして自分の持つ結論に不安も疑念も抱かない強さが心地よかった
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これだけ熱い想いを持って将棋に真っ直ぐに挑み続けた人間、ただ凄いなぁの一言。みんな死ぬから遅いか早いかの違いだけだけど、死を意識せざるを得ない状況にいた彼だからの取り組み方だったんだろう。
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将棋には疎いので、ウィキペディアをこまめに開きながらページを追った。村山聖が関わった棋士たちのことを中心に調べれば調べるほど、彼が存在した、という当たり前の事実のリアルさが増していく。一人の棋士が、短い生涯の中で闘い続けた原動力。彼の思いの真っ直ぐさ。純粋さ。誰かの「短くもド濃厚...
将棋には疎いので、ウィキペディアをこまめに開きながらページを追った。村山聖が関わった棋士たちのことを中心に調べれば調べるほど、彼が存在した、という当たり前の事実のリアルさが増していく。一人の棋士が、短い生涯の中で闘い続けた原動力。彼の思いの真っ直ぐさ。純粋さ。誰かの「短くもド濃厚」な生涯があったとして、別の人間が「長くも薄ーーーい」生をのうのうと甘んじていていいんだろうか。別に許される・許されないの問題でもなく、自由なんだろうけど。そして、長いかどうかはまだわからないんだけど。打ちひしがれそう。
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