記憶/物語 の商品レビュー
巻き込まれたように読む必要が生じて一読したが、自分には合わない書だった。言語や映画での表現だけでは表しきれない重要な部分があるのは当然で、それでも何かメッセージを伝えようとそれぞれが頑張って創作しているのだと思う。認識が偏らないためにも同じテーマの作品を違う視点から表したものなど...
巻き込まれたように読む必要が生じて一読したが、自分には合わない書だった。言語や映画での表現だけでは表しきれない重要な部分があるのは当然で、それでも何かメッセージを伝えようとそれぞれが頑張って創作しているのだと思う。認識が偏らないためにも同じテーマの作品を違う視点から表したものなども体験する必要があるのだろうと認識を新たにした。
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パレスチナ人難民の虐殺事件や第二次世界大戦中におけるホロコースト、あるいはいわゆる従軍慰安婦に関する問題などを手がかりに、記憶の表象可能性の限界を指摘するとともに、そうした限界を超えて語ることへの希望を示そうとする試みです。 ガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができる...
パレスチナ人難民の虐殺事件や第二次世界大戦中におけるホロコースト、あるいはいわゆる従軍慰安婦に関する問題などを手がかりに、記憶の表象可能性の限界を指摘するとともに、そうした限界を超えて語ることへの希望を示そうとする試みです。 ガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』以来の問題設定を踏襲しており、こうした議論に食傷ぎみの読者は不満をおぼえるかもしれません。たしか内田樹も、そうした批判を展開していた記憶があります。とはいえ、個人的には本書で紹介されているいくつかの議論を通じて、記憶と物語をめぐる問題のさまざまな切り口を見ることができて興味深く読みました。 バルザックの『アデュー』という作品についての考察や、「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース」と叫びながら敵陣に突撃した日本兵のエピソードを介した議論など、とりあげられている例がさまざまな問いを喚起しているように感じられるのですが、小さな本なので十分な議論を展開する余裕がないとはいえ、はじめから結論のほうに向かって水路が用意されているような議論の展開は、本書のようなテーマをあつかっている本のばあいには少し残念に感じてしまいます。
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言っていることに同意しまくりだったけど、それを言っては私たちは何も出来ないと思った。だからこの本に同意することももちろん出来ないのだ。
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元従軍慰安婦の女性が、「私は女の歓びを知らない」と言ったときの岡の衝撃と、その衝撃の解釈が印象的だった。
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ホロコースト、戦争、震災・・・<出来事>の他者と共有化は、様々なメディア(小説、映画、ルポ)を通じて常に「リアリティ」が重視された物語として「表象」されようとする。しかし、その「リアリティ」や「リアリズム」への傾斜によって表象される<出来事>の物語が、作り手の目論見通り「リアリテ...
ホロコースト、戦争、震災・・・<出来事>の他者と共有化は、様々なメディア(小説、映画、ルポ)を通じて常に「リアリティ」が重視された物語として「表象」されようとする。しかし、その「リアリティ」や「リアリズム」への傾斜によって表象される<出来事>の物語が、作り手の目論見通り「リアリティのある物語」として受容されるたびに、それは逆説的にも<出来事>の忘却へと繋がり、<出来事>の表象不可能性を露わにしてしまうというパラドックス。表象とはある出来事の側面を「可視化」をもたらすと同時に、別の側面の不可視化をもたらし忘却させ、総体としての出来事を見えなくしてしまう極めて暴力的な行為なのだ。 しかし、それでも私たちは<出来事>の表象による記憶の継承は「他者によって、すなわち<出来事>の外部にある者たちよって分有されなければならない、何としても。」なぜなら、この記憶を継承していくことができるのは、この「<出来事>の外部にある者たち」によってのみであるし「これらの者たちにその記憶が分有されなければ、<出来事>を生きた者たちの存在は、他者の記憶の彼方、『世界』の外部に抛擲され、歴史から忘却される」から。 「言葉は全然、透明ではない。その不透明さを想起することが今、何よりも大切なのではないか。透明化され、意味を確定しているとされるそれらの言葉に不透明さをとり戻すことが。透明な言葉こそが実は、私たちが<出来事>の記憶に触れるものを幾重にも阻害しているのだということを想起することが。」(p.107)
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物語を論じた本、ということで手にとってみた。深く考えさせられた。 虐殺・戦争・災害などの〈出来事〉をどのように伝えられるのか。物語の限界。 ストンと腑に落ちる物語というのは、あるいは疑ってかかった方がいいのかもしれない。 「物語」に描写されていないものを読みとらないといけない...
物語を論じた本、ということで手にとってみた。深く考えさせられた。 虐殺・戦争・災害などの〈出来事〉をどのように伝えられるのか。物語の限界。 ストンと腑に落ちる物語というのは、あるいは疑ってかかった方がいいのかもしれない。 「物語」に描写されていないものを読みとらないといけないのだ。 バルザックの『アデュー』、読んでみたい。
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おもしろい! 暴力的な記憶<出来事>をいかに他者と分有すればいいのか。 また、そんなことは可能なのか。 それを映画、小説、新聞、インタビューなど 様々な分野の視点から考えて組み立てていく。
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再読。 記憶が自己に統御不可能なものとして到来するということ、比較しようのない「暴力」を「出来事」として思考するということに開眼させてくれた本でもある。 再読して特に心に残ったのは、クライストの「チリの地震」に言及している部分である。 地震という「出来事」の暴力に抗するため...
再読。 記憶が自己に統御不可能なものとして到来するということ、比較しようのない「暴力」を「出来事」として思考するということに開眼させてくれた本でもある。 再読して特に心に残ったのは、クライストの「チリの地震」に言及している部分である。 地震という「出来事」の暴力に抗するために、人間自らが暴力の発露を選ばされてしまう、その痛み。 物語として閉じることなく、新たな「暴力」を生み出さずにはおかない「出来事」を、私たちは今生きているのだと思う。
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[ 内容 ] 或る出来事―しかも、暴力的な―体験を物語ることは、果たして可能だろうか。 もし不可能なら、その者の死とともに、その出来事は起こらなかったものとして、歴史の闇に葬られてしまうだろう。 出来事の記憶が、人間の死を越えて生きのびるために、それは語られねばならない。 だが、...
[ 内容 ] 或る出来事―しかも、暴力的な―体験を物語ることは、果たして可能だろうか。 もし不可能なら、その者の死とともに、その出来事は起こらなかったものとして、歴史の闇に葬られてしまうだろう。 出来事の記憶が、人間の死を越えて生きのびるために、それは語られねばならない。 だが、誰が、どのように語りうるのか。 記憶と物語をめぐるポリティクスを、パフォーマティヴに脱構築する果敢な試み。 [ 目次 ] 1 記憶の表象と物語の限界(記憶の主体;出来事の表象;物語の陥穽;記憶のポリティクス) 2 表象の不可能性を超えて(転移する記憶;領有することの不可能性;出来事を生きる) 3 基本文献案内 [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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初めて読んだのは高校生のとき。「虚構のリアリズム」を授業で。全文を読んだのは大学に入学してから。 新書はもっと読みづらいイメージがあったのですが(普段ほとんど読まないので…)とても読みやすかったです。文章に熱があって、岡真理さんの主張がストレートに伝わってきます。 映画...
初めて読んだのは高校生のとき。「虚構のリアリズム」を授業で。全文を読んだのは大学に入学してから。 新書はもっと読みづらいイメージがあったのですが(普段ほとんど読まないので…)とても読みやすかったです。文章に熱があって、岡真理さんの主張がストレートに伝わってきます。 映画や小説に関してこういった視点がある、ということをこの本で知りました。ショックでした。出来事を「物語る」こと、「物語」を読み取ることについてより慎重にならなくては、と思いはしましたが、完璧に実践することは難しい。
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