小説 立花宗茂(上巻) の商品レビュー
知名度はあまり高くない武将だが、秀吉が鎮西一(西日本で一番)と評したということで、どんな人かと思い図書館の蔵書から物色して読んでみた。 以前読んだ「塞王の盾」に登場してきて興味は持っていた。 小説なんだけどちょっと説明調なので、わかりやすくはあるけれど、面白みがもうひとつだったか...
知名度はあまり高くない武将だが、秀吉が鎮西一(西日本で一番)と評したということで、どんな人かと思い図書館の蔵書から物色して読んでみた。 以前読んだ「塞王の盾」に登場してきて興味は持っていた。 小説なんだけどちょっと説明調なので、わかりやすくはあるけれど、面白みがもうひとつだったか。 上巻は秀吉の九州征伐で功績を上げたところまで。 下巻もそのうち借りて読むことにします。
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天正14年(1586年)、島津忠長・伊集院忠棟率いる島津軍が筑前に侵攻、 父の紹運は岩屋城にて徹底抗戦の末に玉砕した(岩屋城の戦い)。 このとき宗茂も立花山城で徹底抗戦を行い、積極的に遊撃戦術を使った。 更に詐降の計を用いて島津本陣への奇襲を成功させ、数百人の首級をあげた。 島津...
天正14年(1586年)、島津忠長・伊集院忠棟率いる島津軍が筑前に侵攻、 父の紹運は岩屋城にて徹底抗戦の末に玉砕した(岩屋城の戦い)。 このとき宗茂も立花山城で徹底抗戦を行い、積極的に遊撃戦術を使った。 更に詐降の計を用いて島津本陣への奇襲を成功させ、数百人の首級をあげた。 島津軍は紹運との戦いですでに消耗していたため、立花山城を攻めあぐみ、撤退した。 このとき宗茂は、島津軍を追撃、高鳥居城を攻略、岩屋・宝満の二城奪還して武功を挙げる。 その後も秀吉の九州征伐で活躍。 戦後、秀吉はその功を認めて筑後柳川13万2000石を与える。 秀吉は大友氏から独立した直臣大名に取り立てた。 このとき秀吉は宗茂を 「その忠義も武勇も九州随一である(原文:その忠義、鎮西一。その剛勇、また鎮西一。)」 「九州の逸物」 と高く評価した。
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