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司馬遼太郎の風景(11) の商品レビュー

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2023/08/11

「司馬遼太郎の風景(11)」街道を行くプロジェクト、 日本放送出版協会、2000.09.30 212p ¥1,890 C0395 (2023.08.11読了)(2023.08.09拝借) 副題「砂鉄のみち/因幡・伯耆のみち/芸備の道」 「鉄と日本人」のかかわりをさぐる旅です。三つ...

「司馬遼太郎の風景(11)」街道を行くプロジェクト、 日本放送出版協会、2000.09.30 212p ¥1,890 C0395 (2023.08.11読了)(2023.08.09拝借) 副題「砂鉄のみち/因幡・伯耆のみち/芸備の道」 「鉄と日本人」のかかわりをさぐる旅です。三つの街道は「中国山地」にあります。映画「もののけ姫」の舞台でもあります。 【目次】 プロローグ 「鉄」で結ばれた三つの街道 Ⅰ 砂鉄のみち 製鉄王国・出雲 水が育んだ日本の製鉄 鉄が変えた日本史 製鉄豪族の痕跡 Ⅱ 因幡・伯耆のみち 因幡国と千代川 亀井茲矩を巡る旅 伯耆の人気 Ⅲ 芸備の道 毛利元就への記憶 古墳と鉄を結ぶ線 『街道をゆく』点景③ 〝司馬さん〟を朗む  古屋和雄 ブッチホンと「街道をゆく」  畠山経彦 引用文献 ●製鉄と朝鮮(90頁) 森林の再生力の弱い朝鮮は、日本で製鉄が盛んになっていくのと対照的に、鉄を作るのに不可欠な木炭を確保できなくなっていく。当然、製鉄は衰退していった。製鉄の衰退は、国の繁栄にも直接影を落とした。 七世紀、新羅による朝鮮全土の統一後、新羅は中国から伝わった儒教によって、全土を思想統一する。特に十四世紀末から二十世紀初頭までという、極めて長く続いた李朝では儒教は絶対のものであった。親を敬い、好奇心をむやみに持たず、競争するなという思想を人々は徹底的に守り続けた。結果、国は停滞した。日清戦争のころでも、地方の農家には貨幣が流通していなかった。農具にもあまり鉄は使われず、生活用品にも本の木をくりぬいたような、原始的な道具が多く用いられた。 ☆関連図書(既読) 「司馬遼太郎の風景(1)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1997.10.25 「司馬遼太郎の風景(2)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.01.25 「司馬遼太郎の風景(3)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.04.25 「司馬遼太郎の風景(4)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.07.25 「司馬遼太郎の風景(5)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1998.12.25 「司馬遼太郎の風景(6)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.03.25 「司馬遼太郎の風景(7)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.05.25 「司馬遼太郎の風景(8)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.07.25 「司馬遼太郎の風景(9)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、1999.11.25 「司馬遼太郎の風景(10)」街道を行くプロジェクト、日本放送出版協会、2000.07.30 「葬られた王朝」梅原猛著、新潮社、2010.04.25 「出雲と大和」村井康彦著、岩波新書、2013.01.22 「古代出雲を歩く」平野芳英著、岩波新書、2016.07.20 (「BOOK」データベースより)amazon 鉄はどこから来て、日本人をどう変えたか。古代、砂鉄と森林に恵まれた中国山地に成立した鉄王国。その痕跡を辿り鉄に育まれた日本人の欲望の構造を問う。

Posted byブクログ