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他力 の商品レビュー

3.5

32件のお客様レビュー

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ん~。私には少し難し…

ん~。私には少し難しかったです。でも所々おぉ!!ためになりそう!っていえるような箇所がありました!読んで損はないと思います!

文庫OFF

「他力」で現代を生き…

「他力」で現代を生き抜こうという本。いまいちわからない。

文庫OFF

おすすめです。

何もかも自分でやろう、と思ったところで限界はある。努力努力と自分を追い込みすぎる前に、自分の力だけでは得られないものを受け止める心を持ちたい。肩の力がふっと抜けるような、そんな一冊。

abtm

2020/12/18

困難な時代を生きぬくための100のヒントを提示した、必読のベストセラー! っていう売り文句なんですが、当日の麻原彰晃とか、酒鬼薔薇とかの時事問題を引用しつつ、駄文を書き散らしているだけなのでは?と思うものが多かった印象です。

Posted byブクログ

2018/10/08
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

露骨に言ってしまえば、正直者は概ねばかをみます。努力はほとんど報われる事はありません 難しい学問や苦しい修行を離れ、ただ素直に、南無阿陀仏とつぶやくことで、彼は生き難い世に悩み多き一個人として、生きる力ときる喜びと生きる安らぎを確かに与えられたと実感したに違いありません 浄土教の宗祖、法然が熱烈に説いたのは念仏をすることで、その目に見えない大きな生命力を実感して、この世の闇を照らす光に触れること、だったのではないでしょうか 他力とは言葉を変えると、目に見えない大きな力といっても良く、大きな目に見えない風のように流れていると感じるのです 進化の歴史は突然変異の歴史なのです

Posted byブクログ

2018/09/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 他力とは、目に見えない自分以外の何か大きな力が自分の生き方を支えているという考え方だ。自分以外の他者が、自分という存在を支えていると謙虚に受け止めることが重要なのだ。自分ひとりの力でやったと考えるのは浅はかであり、それ以外の目に見えない大きな力が自分の運命に係わり合いを持っている。  親鸞は二十九歳まで厳しい修行を行い、どんなに修行を積んでも、自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのをどうしても抑えることができなかった。そして親鸞は悟るのである。「自力では悟れぬものと悟りたり」と。つまり、親鸞は自分の力では解脱することが出来ないとあきらめたわけだ。親鸞が開いた浄土真宗は、煩悩を捨てよとは教えない「他力」の思想である。そこが他の宗教とは大きく違うところだ。諦めの宗教とでも言おうか。人間は、自分が患っている病気や困難に打ち勝つぞ、と思っただけでは、その情況を克服することは出来ない。むしろ、人間の命は有限であると、自分ひとりの力ではどうにもならないこともあると、諦めることだ。そして、生きていることへの感謝の気持ちを持ち、生きているこの瞬間を十分に味わう。そういう、しなやかな心を持つことが、人間が直面する危機に際して、人間をサバイバルさせる大きな力になる。  「がんばれ」というのは、戦中、戦後の言葉という。日本は、戦後、がんばれ、がんばれと言われ続けてきた。しかし、頑張れといわれれば言われるほど辛くなる情況もある。そういった場面での大事なことは何か。それは励ましではなく、慰めであり、もっといえば、慈悲の”悲”という言葉だ。蓮如は”悲”をもって人々を癒した。”同治”と”対治”という言葉がある。もともと仏教の言葉だ。例えば、高熱を発したときに氷で冷やし、て熱を下げるようなやり方は対治という。これに対して、十分に温かくしてあげて、汗をたっぷりかかせ、そのことで熱を下げるようなやり方を同治という。また、悲しんでいる人に、「いつまでもくよくよしててもだめだよ。気持ちを立て直して頑張りなさい。さあ、元気を出そう」という風に励まして、それで悲しみから立ち直らせるのが対治的なやり方。これに対して、黙って一緒に涙を流すことによって、その人の心の重荷を少しでも自分のほうに引き受けようとする、そういう態度が同治なのだ。対治は否定から出発する。悪を否定する。病気を否定する。不自由を悪と考え、それを叩き潰し、切除することで、善を回復しようとする。そういう対立と攻撃の思想がヨーロッパ近代文明の一面だ。しかし、老いを否定できるだろうか。死を否定できるだろうか。それは出来ない。とことん打ちひしがれた人々を救うのは肯定の思想、同治の思想なのだ。今大切なのは励ましではなく、慰めであり、”悲”なのだと強く感じるのだ。  1987年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進教授が立花隆さんとの対話の中で、遺伝子について非常に面白いことを指摘されている。遺伝子を良く調べると、意味不明なジャンクと呼ばれる”くず”が数多くあるらしい。しかし、そういうジャンクが数多くあることで、遺伝子のコピーのミスが生じる。コピーミスが生じた結果、突然変異が起こったりする。突然変異によって変わった種が誕生し、その種が従来の種より適応性が高い場合には、適者生存で生き延びていくわけだ。じつは、この突然変異の積み重ねが進化ということらしい。ということは、乱雑で不規則な遺伝子の思いがけないミスから生じた結果が、人間の進化を生んでいるといっていい。逆に、整然として必要以上のものが何もない組み合わせの遺伝子だけだったら、人間は進化しなかったということだ。ジャンクはそうした存在の意味がある。”無用の用”というが、一見無用に見えるもの、必要でないように見えるものが、実はものすごく大きな意味を持ち、宇宙の意志とも言えるような意味をはらんでいるのだ。最近の合理化には、そこに対する視点がない。矛盾は弁証法いわゆるアウフヘーベンの母である、というが、矛盾とか無駄とか不必要とか、その種のものは人生において絶対に必要な要件であるということをぜひ考えることが必要だ。  二人で喜べば歓びが2倍になると言う。また、二人で苦しめば苦しみが半分になるかもしれない。多数の人々と共に歓び、その歓びを2倍にも4倍にもすることを蓮如は願った。そしてたくさんの人と苦しんで、苦しみを分かち合っていく。それが蓮如の通俗的で民衆的な考え方であり、だからこそ、民衆に広まっていったといえるだろう。

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2018/05/12

初五木さんの本です。 読みやすくわかりやすい文章でしたが、本当のところで理解できたかと言うとそうじゃないような気もします(汗) 元の本の発行が1998年ということもあり、それ以前の数年間に起こった重大事件が挙げられています。 20年前の話なので、今現在だとどういう見解になるの...

初五木さんの本です。 読みやすくわかりやすい文章でしたが、本当のところで理解できたかと言うとそうじゃないような気もします(汗) 元の本の発行が1998年ということもあり、それ以前の数年間に起こった重大事件が挙げられています。 20年前の話なので、今現在だとどういう見解になるのかな、と読みながら思っていました。 語尾が「~だ」と「~です」とバラバラなのが最後まで気になっていたんですが、五木さんが最後にこのことなのかわかりませんがライブ感を出すために細かな修正を入れなかったと書いてあって納得しましたw

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2017/07/16

・クオリティ・オブ・デスという観点から言えば、ガンはものすごく幸運な病気。なぜならガンは、ゆっくり時間をかけて進行していくわけだから仮にまったく治療をしなくても、ある程度は生きる。自分でトイレにも行けなくなるような状態は、死の二週間ぐらい前になってからのことで、それまでは健康なこ...

・クオリティ・オブ・デスという観点から言えば、ガンはものすごく幸運な病気。なぜならガンは、ゆっくり時間をかけて進行していくわけだから仮にまったく治療をしなくても、ある程度は生きる。自分でトイレにも行けなくなるような状態は、死の二週間ぐらい前になってからのことで、それまでは健康なころには考えなかったことを考え、本を読んだり、会うべき人に会ったり、自分が死んだあとのことを考えたりする時間がある。心筋梗塞とか脳溢血でバッタリ倒れて意識がなくなるより、どんなにありがたい病気であるかと思う。 ・「天上天下唯我独尊」とは、「自分の価値は他人との比較によって決まるものではない」と解釈している。この世の中で、自分の価値を決めるのはあくまでも自分であって、他人に決めてもらったり、他人との比較で決まるものではない。自分は「生老病死」を背負った世界中でただひとりの人間だという自覚が必要。 ・笑いは精神的で知的で、涙は感情的で盲目的だと思われている。だから感情的な人というと悪い評価になる。精神的な人というと、逆に高い評価となる。しかし、歓びを感じ、生き生きと笑ったりすることと同じように、人間が本当に悲しんだり、涙を流したりすることも免疫系の細胞の働きを活性化する。大事なことは、強く歓び、深く悲しむということ。大いに笑い、大いに涙を流せばいい。感情の自由な振れ幅こそが大切。深く絶望する人間にしか強い希望はつかめない。強く悩み、強く迷う人間にしか本当の確信は得られない。 ・<諦め>という言葉には、非常にネガティブなイメージがあるがじつは「明らかに究める」ということ。物事を明らかにし、その本質を究めること。勇気を持って真実を見極め、それを認めることが、本当の<諦める>ということ。たとえば親鸞は中世で最も強く<諦める>ことに到達した人物。29歳まで厳しい修行を行なったが、どんなに修行を積んでも、自分の中に邪心や欲望の火が燃え盛るのをどうしても抑えることができなかった。そして彼は「自力では悟れぬものと悟りたり」と、自分の力で解脱することはできないと諦めた。諦めきったところから、物事が明らかになり、それを究めきったところに真実がある。そこに本当の意味での静かな強さが生まれる。人間は自分が患っている病気や困難に打ち克つぞ、と思っただけでは、その状況を克服することはできない。むしろ、人間の命は有限であると諦め、いま、生きていることへの感謝の気持ちを持ち、生きているこの瞬間を十分に味わう。そういうしなやかな心を持つことが、人間が直面する危機に際して、人間をサバイバルさせる大きな力になると思う。しなやかな心は死と対決して、それを否定する中からは生まれない。死を見つめることを通して、生を見つめ、それを迎え入れる中から生まれてくるもの。危機の中で人間を支えるのは、じつはこうしたしなやかな心ではないだろうか。強くあるだけが生きていく術ではない。

Posted byブクログ

2015/11/24

また読み返したい。そのときどきによって、違う感じ方になる、そう思わせられた作品だった。一見当たり前のようなことが書かれているようだが、言われてみないとなかなか気づかないような。そういう意味では、この作品からたくさんの気づきが得られたような気がする。特に自分自身が壁にぶち当たってる...

また読み返したい。そのときどきによって、違う感じ方になる、そう思わせられた作品だった。一見当たり前のようなことが書かれているようだが、言われてみないとなかなか気づかないような。そういう意味では、この作品からたくさんの気づきが得られたような気がする。特に自分自身が壁にぶち当たってるようなときは、気づきが多い気がする。

Posted byブクログ

2015/11/08

ある講演会で、「よい組織は、メンバーの「他力」でできている」という言葉を聞きました。 自分なりに考えてみたいと思い、読んでみました。

Posted byブクログ