邪馬台国がみえてきた の商品レビュー
この本の前半部は、考古學による新たな發掘の成果を紹介することにあてられてゐる。 讀んでゐて、なかなか邪馬臺國の話にならないのでじりじりしてくる。 しかし、この本のユニークなところは、邪馬臺國がどこにあつたかと云ふことにはfocusせずに、邪馬臺國を中國史のなかで位置付けやうとして...
この本の前半部は、考古學による新たな發掘の成果を紹介することにあてられてゐる。 讀んでゐて、なかなか邪馬臺國の話にならないのでじりじりしてくる。 しかし、この本のユニークなところは、邪馬臺國がどこにあつたかと云ふことにはfocusせずに、邪馬臺國を中國史のなかで位置付けやうとしてゐる點にある。 この本を讀んで新しく知つたこと。 1.福岡の吉武高木遺跡(紀元前1世紀末)から、すでに銅鏡1面、銅劍2本、銅矛銅戈各1本が出土していること。 2.銅鐸は近畿地方より先に北九州で使用されていたらしいこと。福岡の原田遺跡から紀元前後の小銅鐸が發見されてをり、これは近畿地方のものより約100年前のものになるさうだ。 3.神社の鳥居は中國の江南地方が起源であるらしいこと。 4.2世紀末から3世紀にかけての鐵器の出土量は北九州が近畿をはるかに凌駕してゐること。 5.紀元前1世紀後半から漢民族による江南地方の「呉越の民」(航海民)への壓迫が始まり、その一部が日本に移住して來たらしいこと。この彌生時代中期から北九州では青銅器がまとまつて出土するやうになる。 著者は上記4を見るだけでも、邪馬臺國は北九州以外ではありえないと斷言してゐる。 確かに御尤もである。 肩肘はらずにさらりと云つてのけられると、さうだよなあ、と妙に納得して仕舞ふ。 2003年4月27日讀了
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