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経験論と主体性 の商品レビュー

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2017/09/03

多様な情念が合流し、反響し、齟齬をきたしながら、つまり多様な線に貫かれながら「ひとつの」社会や道徳的世界がいかにして創り出されるのか、今度はそのなかで主体がいかなる主体として生成することになるのか、本書はこのプロセスの原理を捕えようとする。(『KAWADE 道の手帖』大山載吉) ...

多様な情念が合流し、反響し、齟齬をきたしながら、つまり多様な線に貫かれながら「ひとつの」社会や道徳的世界がいかにして創り出されるのか、今度はそのなかで主体がいかなる主体として生成することになるのか、本書はこのプロセスの原理を捕えようとする。(『KAWADE 道の手帖』大山載吉) 冒頭でドゥルーズは、精神はいかにして人間本性(人間的自然)へ、ないしは主体へと生成するのかという問いがヒュームの目論見であると定式化する。ヒュームの用語では想像力とも言い換えられる精神とは、知覚から与えられる経験である観念の「寄せ集め」にすぎない。また、観念相互の結びつきは観念それ自体に内在しているのではないということ、つまりは「関係の外在性」のために、関係を編成する原理が観念の外部に求められる。それゆえ隣接、類似、因果性といった連合原理と情念の原理の影響下で精神が触発され、所与のただなかでひとつのシステムとしての主体へと生成していくプロセスを把握しようとする点がヒューム哲学の特徴であり、これをドゥルーズは「構成される主体の哲学」と評している。(山下雄大)

Posted byブクログ