松竹大船撮影所前松尾食堂 の商品レビュー
(01) 大船が「映画都市」であった時代の思い出話である.松竹の撮影所が蒲田から大船に移転したのが1936年で,本書が書かれたのが1986年であり,2000年頃には撮影所は閉鎖している.映画の最盛期でもあった1950年代のエピソードも多いが,戦前の撮影所の様子を伝える資料にもなっ...
(01) 大船が「映画都市」であった時代の思い出話である.松竹の撮影所が蒲田から大船に移転したのが1936年で,本書が書かれたのが1986年であり,2000年頃には撮影所は閉鎖している.映画の最盛期でもあった1950年代のエピソードも多いが,戦前の撮影所の様子を伝える資料にもなっている. 食堂であるから,食事を提供するのであるが,監督,助監督,俳優らの映画関係者たち(*02)の食事の時間は昼夜を問わない.したがって,松尾食堂の営業時間も長いし,メニューも多く,メニューもないような賄いや酒食,ときには宿も提供され,映画人たちが,入りびたる交流施設のような用途も帯びている. 著者は戦後の食堂を切り盛りした山本若菜であるが,彼女は大船撮影所の所長を務めていた狩谷太郎と不倫の仲にあったようで,狩谷の妻の死後に山本は狩谷と結婚したと書いている.彼女の妹たちや食堂の雇人たちも映画関係者へと嫁いでいる例が多く,当時の撮影所の食堂が果たしていた役割はナイーブなものであったのかもしれない. (02) 川島雄三,木下恵介,渋谷実ら最盛期の監督をはじめ,大島渚や今村昌平,山田洋次らも食堂に現れる.松竹映画に彩りを添えた女優や男優も多く登場する.食堂での支払いの滞りや,彼女ら彼らが好んだメニューなども興味深い.食堂は,サービス過多でもあり,ツケは支払われないこともあったから,幾度か経営が傾きかける.実質的な経営者の山本は,ノイローゼになり,睡眠薬を飲み,税金を呪う.映画界の斜陽とともに,経営規模を縮小し,遂には閉店にいたる.撮影所は,おそらくコミューンを形成しており,食堂はその配食などを担当していたと考えられそうである.
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松竹大船映画ファンならば必読の一冊です。特に松尾食堂をよく利用した木下恵介、渋谷実、川島雄三監督(下宿人?)などについて、その人間性が良く観察されています。なお、当食堂はやや高級な食堂だったようで、スター俳優や監督、撮影所幹部クラスの客が多く、低収入のスタッフ、俳優陣はあまり利用...
松竹大船映画ファンならば必読の一冊です。特に松尾食堂をよく利用した木下恵介、渋谷実、川島雄三監督(下宿人?)などについて、その人間性が良く観察されています。なお、当食堂はやや高級な食堂だったようで、スター俳優や監督、撮影所幹部クラスの客が多く、低収入のスタッフ、俳優陣はあまり利用できなかったようです。ともあれ、日本映画の全盛期を懐かしく読ませていただきました。
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