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渋江抽斎 の商品レビュー

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17件のお客様レビュー

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2024/07/09

鴎外忌。大正11年〈1922年〉7月9日、森鴎外死す。日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚、帝室博物館総長や図書頭、帝国美術院初代院長。 1862年2月17日、鷗外こと森林太郎は代々津和野藩の典医を務める森家跡継ぎとして生...

鴎外忌。大正11年〈1922年〉7月9日、森鴎外死す。日本の明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚、帝室博物館総長や図書頭、帝国美術院初代院長。 1862年2月17日、鷗外こと森林太郎は代々津和野藩の典医を務める森家跡継ぎとして生まれた。時の政権官僚として生まれ育ち亡くなった。それは則ち津軽弘前藩侍医たる渋江抽斎の人生と重なっている。 鴎外は多趣味であり、趣味のひとつに本の蒐集などがあるが、幕府の職員録である「武鑑」を集めていくうちに、渋江の蔵書印が多く捺されており、興味を持つ。趣味として墓を探訪し子孫や交友の人々を調べて遂には1916年、日本文学史に記念的な『史伝』「渋江抽斎」を連載する。鴎外54歳、抽斎の歿した歳である。鴎外もっとも脂の乗った時期だった。抽斎も54歳、妻に「あと20年は生きるから今隠居して好きにやる」と宣言した直後に亡くなっている。 史伝の前半1/3は、抽斎を調べるキッカケと、抽斎の父母や師匠などの周りの環境をじっくりしっかり調べて記しているのみ。抽斎の伝記になかなか入らない。 1/2の段階で、やっと簡潔な伝記部分に入ったと思いきや、安政5年、全国に蔓延したコレラに罹り抽斎は急死する。そしてここから、所謂抽斎評伝が始まるのではあるが、それは直ぐに終わり、そのあとは、3人目の妻五百(いお)と子孫たち、親戚などの史実を追ってゆくのに終始する。 私は、20年ほど「渋江抽斎」を積読状態にしていた(ブクログには登録していない)。今年、敬愛する作家の斎日レビューをすることを決めた(目標を作った)ので、生来の願いを果たして読み通したのではある。ところが、やはりこれが傑作とも思えない。私はもっと渋江抽斎について、きちんとした評価をしているのかと思っていた。または、妻の五百(いお)の数々の武勇伝が有名なので、半分は五百の評伝なのかと思っていた。しかし、本の半分以上は、細かい祖先子孫、師弟、親戚、友人の来歴の確定である。勿論、それを書くことで、抽斎の人生を立体化させる意図があったことは疑い入れない。けれどもである。この一見無名の官僚の人生に、我々はいったいなにを読み解けばいいのだろう。 ひとつに気になるのは、終わり近く抽斎の継嗣七男保(たもつ)の半生を綴ったあと(本書の元ネタは半分近くは保の覚書なので、彼について紙幅を費やすのはある意味当然)、最終編十数頁に渡り、抽斎の4女で長唄の師匠杵屋勝久・本名 陸(くが)の一生を滔々と述べて長い評伝を終わっている事である。その最後に再び五百(いお)が出てくる。陸は五百の愛された娘ではなかったが、やはり母親から厳しく教育された。その薫陶が師匠勝久をつくったかのように描いている。もはやここまで来ると、「渋江抽斎」は、森鴎外のやがて遺すべき妻と愛児たる二男二女へのメッセージとも取れなくはない(鴎外は2番目の妻から移されたかもしれない結核を長いこと患っていて、それを決して愛児には知らせなかった。鴎外はこのあと、6年も生きられるとは思っていなかったのかもしれない。勿論これは私の想像の外無い)。五百は「お前が男だったらなあ」と嘆息されるほど知勇優れた女性だった。その許で幕末から明治前期を生ききる渋江一族の「学問で身を立てる」姿勢を、鴎外は自分の家族に伝えたかったのかもしれない。 ひとつ確かなのは、鴎外が抽斎の人生を自分に重ねているということである。三万五千冊以上に及んだという本の蒐集癖、庭いじりの趣味、考証家、書誌学者としての面。そして本業は漢方医として人生を全うし、尚且つ少し幕政へのまともな意見も書いた。未完だが小説も書いていた。 それら全てが、マルチ人間たる鴎外自身が自分を顧みるために必要なことだったようにも感じる。 しかし、読めば読むほど、 鴎外と抽斎では 「格」が違うのである。 抽斎評伝を読んでも、我々は鴎外の何者たるかを知ることはできない。ということだけがわかるのである。 永井荷風は、随筆「隠居のこごと」で、『渋江抽斎』の優れている点として、第1に考証としての価値、第2にさながら生きているような人物描写、第3にフローベールの小説よりはるかに優れている「人生悲哀の感銘の深刻」、第4に「漢文古典の品致と余韻とを具備せしめ、(中略)鋭敏なる感覺と生彩とに富」む文体を挙げた。らしい(wikiより)。荷風は『渋江抽斎』を最後の読書にする事を選び絶命した。わたしは荷風の評価を否定できない。されどまた納得もできない。

Posted byブクログ

2023/11/12

森鷗外は、人生の最後に「史伝」作品群を残し、その中でも最も知られている作品が「渋江抽斎」だ。 ”史実を淡々と述べていて無味乾燥である”、という評もあるようだが、自分は、鷗外の作品の中でも多いに関心を抱く作品のひとつだ。 鷗外は、「舞姫」から始まり、その作風の変遷が特徴的だが、日...

森鷗外は、人生の最後に「史伝」作品群を残し、その中でも最も知られている作品が「渋江抽斎」だ。 ”史実を淡々と述べていて無味乾燥である”、という評もあるようだが、自分は、鷗外の作品の中でも多いに関心を抱く作品のひとつだ。 鷗外は、「舞姫」から始まり、その作風の変遷が特徴的だが、日本の近代化という大きな変革の中に体制側に身を置き、最後、「史伝」に辿り着いたことは、説明がつくような気がする。 ひとつのキーワードが考証学。 渋江抽斎も考証家であり、鷗外が自らを渋江抽斎に見立てていたのであれば、合理的な欧米的知識をバックボーンとしていた鷗外にとって、考証学は拠り所になっていたのではないかと思われる。(これは「かのうように」にもつながる) 歴史小説作家で好きな作家のひとりが吉村昭だが、彼の作品も司馬遼太郎と比べると、事実を淡々と積み重ねるアプローチだ。 吉村昭のこの修飾文がない作風は、却って、読み手側に歴史が迫りくるような印象を抱かせる。「渋江抽斎」を読んでいると同じような印象を得る。 この小説は、渋江抽斎死去後も話が続く。 というよりも、死去後が本編のような気もする。 鷗外の家族思いは有名で、この作品で自らの死後を子供たちに託すような思いも伝わってくる。 渋江抽斎亡き後も、渋江家は、明治維新、士族没落という荒波を乗り越え、特に妻の五百(いよ)を中心に新たな時代を逞しく生き抜いていく。 この小説は、登場人物が多いこと、主人公がいないこと、が特徴なのだが、それゆえに”人”にフォーカスした歴史小説といえ、イベントドリブンの歴史小説よりも、時代の息吹を実感することができるだろう。 なお、この小説は新聞に連載されたものであり、適当に長さが区切られているので読みやすい。また、時々で登場人物のその時代の年齢のおさらいがあり、それも工夫がされている。 ところで、この五百(いよ)は、鷗外の理想の女性像を表しているようで興味深い。 鷗外は、津和野藩代々の典医の家に久しぶりに誕生した男子であった。 (それまでは女系が多く養子を得る。鷗外の実父も養子) そのような背景もあり、特に、祖母や母の鷗外に寄せる期待は大きく、英才教育があったようである。鷗外は、父よりも祖母、母に強く影響を受けているように思える。 そして、何よりも鷗外の作品には、精神的に自立した強い女性像が多く描かれている。 「渋江抽斎」の面白いところは、史実を丹念に描いているので、特に江戸後期から明治初期に生きる人々の生活、考え方、例えば知識人の処世を理解することができる点だ。 鷗外自身、近代化、西欧化が急ピッチで進む中、江戸時代にあった、良き姿勢、文化、慣習を改めて世に問おうとしたのではないか。 そして、それは現代社会でも十分に考慮すべきことであったりする。 (この点が「渋江抽斎」を読む意義でもある)

Posted byブクログ

2023/01/20

東京文京区森鷗外旧居「観潮楼」跡地に森鴎外記念館があります。谷根千と呼ばれる地域です。近隣には、吾輩は猫であるを執筆した夏目漱石旧居跡地があり、猫のオブジェがあります。漱石が住んでいた3年間程は、本当にご近所さんだったのですね。 さて、記念館には、貴重な鴎外遺産もさることながら、...

東京文京区森鷗外旧居「観潮楼」跡地に森鴎外記念館があります。谷根千と呼ばれる地域です。近隣には、吾輩は猫であるを執筆した夏目漱石旧居跡地があり、猫のオブジェがあります。漱石が住んでいた3年間程は、本当にご近所さんだったのですね。 さて、記念館には、貴重な鴎外遺産もさることながら、大銀杏や三人冗語の石等も保存されています。 数ヶ月前に、記念展に行き、何か一冊と思い、完全未読の渋江抽斎を。小説と言っても、江戸の教養人、渋谷の伝記となります。 森鷗外が「武鑑(江戸期の紳士録)」収集の途中で、抽斎の蔵書印からその存在を知ります。抽斎が弘前の官医で考証学者であり、自分と重なる人生を感じたのでしょうか。ブグログで自分と同じような本が登録されている本棚を見つけた感じ? 執着と思える程の熱量で、抽斎の仕事から交友、家族。亡き後の子孫や親戚の行く末までを克明に書き続けます。 鷗外には興味あるけど抽斎には別段……むむ、読むのに数ヶ月を費やし、今日の鷗外の誕生日に読了とします。 抽斎はどのような人だったか、という印象よりも、 明治維新を挟んだ時代背景や、当時の交通状況や給料、家族の在り方(特に女性)のような社会風景が、抽斎の周囲から見えてくるという史伝そのものなのかと思います。その百十八でふっと終わるのですが、初出はおよそ100年前東京日日新聞。一日一話だったのでしょう。私も一日一話でした。あまり汚れる前に本棚に並べます。

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2022/12/20

一般的にいって、面白いものではないだろう。 ただ、江戸文化や森鷗外自身に興味がある人にはいいだろう。 サマセット・モームのような小説を期待する人は、手に取らないほうがいいだろう。 とはいえ、最後まで辛抱して読むと、味わい深いものはある。

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2022/09/29

最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸...

最初はじっくり読もうと思ってはいたが、次第に走り読みになり、抽斎が亡くなってからは、もう速読のフェイク動画のような状態だった。難しすぎる。しかし、抽斎の4番目の妻、イオさんだけはすごい人物だったということは分かった。抽斎が暴漢に襲われそうになった時、お風呂に入っていたイオさんは裸に近い状態で飛び出してきて、暴漢にお湯をぶっかけ刀を抜いて立ち向かったって!イオさんの映画観たい!

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2021/12/01

2021年12月「眼横鼻直」 https://www.komazawa-u.ac.jp/facilities/library/plan-special-feature/gannoubichoku/2021/1201-10958.html

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2021/05/05

学問と仕事、宮仕えの心構え。芯のある夫人。時代を生きる人々。家族のヒストリーを語りながら、文武両道とユーモアと暖かみにあふれ、誠実にして緻密な史料調査を厭わない森鴎外の視線、筆致に触れられ、憧れるような文化水準の高みを気持ちよく感じさせてくれます。

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2021/04/02

カテゴリ:図書館企画展示 2020年度第3回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第2弾!  本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。  川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。  展示中の図...

カテゴリ:図書館企画展示 2020年度第3回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第2弾!  本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。  川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。  展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。

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2020/09/26

岩波文庫の表紙によれば「鴎外史伝ものの代表作」なのだそうだが、まず史伝とは何であるのかが今ひとつわからない。歴史小説というのとも少し違う、強いて言えば伝記であろうか。題名のとおり渋江抽斎が主人公というか中心人物であるが、その親族や師弟、交友関係のそのまた親族まで、まさに虱潰しと言...

岩波文庫の表紙によれば「鴎外史伝ものの代表作」なのだそうだが、まず史伝とは何であるのかが今ひとつわからない。歴史小説というのとも少し違う、強いて言えば伝記であろうか。題名のとおり渋江抽斎が主人公というか中心人物であるが、その親族や師弟、交友関係のそのまた親族まで、まさに虱潰しと言うべき執念で記録してある。これを読んでWikipediaみたいだと思うのはマヌケな感想だろうか。 固有名詞の大群に飲み込まれそうになるのだが、じっと耐えながら読んでいると、まさに江戸から明治にかけての大変革期に生きた人々の有様を覗き込んでいる気持ちになくる。 ルネサンス人的ともいえる医者が儒者を兼ねるのが当たり前な様子、嫁入りするのに士族の養女になってからしたり末期養子などのイエ意識、とにかく人が若くして次々亡くなること、放蕩息子に切腹を命じるかどうかで親族が鳩首協議する様などなど、いまとは違う社会の様子が些細とも思える記述の積み重ねから立ち上がってくる。

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2020/05/30

退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。 前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ている...

退屈で中盤まで読むのに数週間を費やした。後半、抽齋の死から幕末~大正の現在までが糸結ばれるに従って、鮮やかな興奮が起こり、結局二日で読了した。歴史というもの、現在というもの、生というもの死というもの、それらのありのままの重さを感得できる。 前半部はかすかに揺れ動く草むらを見ているようなものであった。後半、突如、その草むらから猛獣が出てきた、おれに向かって突進してきた。 おれにとって遠い過去であり、縁のない人物が、人格性を強く帯び、やがてそれは分裂するかのごとく周囲の人間に及び、ついに幾多の死を超えて現在の生に結びつく。 小説―史実 過去―現在 死―生という対立項が止揚され、読後にはある心地よい重さだけが残る。 この極度に抑制された文体でなくてはならぬ偉業だったろう。 もう一度最初から読みたくなる。今度は草むらに隠れる獣を直視しながら。

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