死のクレバス の商品レビュー
この本の作者は198…
この本の作者は1985年にパートナーのサイモンとともにこの山に挑み、誰もが見たことのない世界を見た。そして同時に、多くの人が経験することもなく終わる地獄をも見た。そんな体験を迫力ある描写で活写し、誰もが未知なる世界を体験できる貴重な本だ。
文庫OFF
ジョー・シンプソンは、1960年生まれ、エジンバラ大学で英文学と哲学の修士号を取得し、在学中からヨーロッパ・アルプスの50を超える岩壁を登っていた登山家。 本書は、ジョーが、1985年にペルー・アンデス山脈の標高6,600mのシウラ・グランデ峰に、友人のサイモン・イェーツと挑み、...
ジョー・シンプソンは、1960年生まれ、エジンバラ大学で英文学と哲学の修士号を取得し、在学中からヨーロッパ・アルプスの50を超える岩壁を登っていた登山家。 本書は、ジョーが、1985年にペルー・アンデス山脈の標高6,600mのシウラ・グランデ峰に、友人のサイモン・イェーツと挑み、登頂を果たした後、下山中に事故に見舞われながら、奇跡の生還を果たした記録である。1988年に発表、1991年に日本語訳出版、2000年に文庫化された。また、本書を原作として、2003年に英映画「運命を分けたザイル」が公開されている。 私はノンフィクション作品、中でも冒険・探検の記録はよく読む方で、山野井泰史の『垂直の記憶』や、その山野井夫妻のギャチュン・カンからの生還劇を沢木耕太郎が描き、講談社ノンフィクション賞を受賞した『凍』等も読んでいる。本書については、何かで(それが何だったかは、不覚にも覚えていない)「ぜひ読むべきノンフィクション作品」と書かれていたものの、現在絶版で手に入らず、今般たまたま新古書店で見かけて入手した。 備忘の意味もあり、大筋を記すと以下である。 当時25歳だったジョーとサイモンは、二人でシウラ・グランデ峰の1,400mの氷壁が聳える未踏の西壁に挑み、悪戦苦闘しながらも何とか登頂に成功する。しかし、下山に選んだルートは、やはり予想以上の難ルートで、下降中にジョーが片足を骨折する。更に、シャワー雪崩と闇に包まれながら、絶壁を必死で下降中、ジョーがオーバーハングした岩壁から宙づりになってしまう。上でザイルを確保していたサイモンは、下の状況がわからず、二人とも落下するのを避けるために、ザイルを切断する。ジョーはクレバスに墜落するが、奇跡的に助かり、クレバスの割れ目の途中で一夜を明かす。クレバス付近を確認したサイモンは、クレバスにジョーが落ち、生きている見込みはないと判断し、ベース・キャンプまで下山する。サイモンが下山した後、ジョーはクレバスの他の割れ目から脱出するが、折れた足で歩くことはできず、這ってキャンプを目指し、サイモンがキャンプを撤収する前夜にベース・キャンプへの生還を果たす。 こうして大筋を書いているだけで思わず息が詰まりそうな展開だが、本書は、文学的素養もあるジョーが自らの手で描き、加えて、要所要所にサイモンが書いた文章が挿入されており、行動と心の動きのリアルさにおいて、他の登攀記と一線を画している。 そして、そうした彼らの記述から我々は何を読み取るべきなのかと考えると、それは意外に難しい。サイモンがザイルを切ったことの判断の正しさなどということではないし、ましてや、サイモンがザイルを切ったことに対する「友情」の云々などではないはずで、それはおそらく、人間は極限状態の中では、本書に描かれている様々な言動(ザイルを切ったことに限らない)を本能的・生理的に取るという事実なのだろう。そして、その言動が良い結果を生んでも、悪い結果を生んでも、正解とも間違いとも言えないのだ。 また、本作品は「記録文学の極点」とも言われているが、記録文学≒冒険ノンフィクション作品(の価値)とは何か、という問いは実は奥深い。冒険ノンフィクション作家の角幡唯介氏は、それをテーマに一冊の本を書いてしまったりしているのだが、皮肉なことに、何のトラブルもなく成功裏に終わった冒険の記録というのは、おそらく、興味の引かれる作品にはなりにくい。つまり、本作品は、順調に登頂・下山していればそもそも書かれていなかったし、仮に、二人とも亡くなっていても、ジョーが亡くなっていても、やはり書かれることはなかった。そういう意味では、偶然(必ずしも幸運に限らない)が重なって初めて、こうしたノンフィクション作品が生まれるとも言えるのだ。 冒険ノンフィクション好きに限らず、一読の意味のある一冊と思う。 (2024年7月了)
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ノンフィクションではあるが、極限状態での記憶をどれだけ正確に描写しているかは不明。かなり鮮明に記述しているがだいぶ記憶の中で脚色されているような気もする。
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原書名:TOUCHING THE VOID(Simpson,Joe) 著者:ジョー・シンプソン(Simpson, Joe, 1960-、マレーシア・クアラルンプール、登山家) 訳者:中村輝子(1938-、ジャーナリスト) 解説:後藤正治(1946-、京都市、ノンフィクション作家...
原書名:TOUCHING THE VOID(Simpson,Joe) 著者:ジョー・シンプソン(Simpson, Joe, 1960-、マレーシア・クアラルンプール、登山家) 訳者:中村輝子(1938-、ジャーナリスト) 解説:後藤正治(1946-、京都市、ノンフィクション作家)
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「どういうわけか、しつこく繰り返される単調なメロディーが抜け出てくれず、その歌詞も忘れたいと思いながらカリマーと取り組んでいた。…“指輪をつけた褐色の娘が…トラ、ラ、ラ、ラ…”…いろんな考え事の合間を縫って意味のない歌だけがしつこく口をついて出てくるのだった。」(235ページ) ...
「どういうわけか、しつこく繰り返される単調なメロディーが抜け出てくれず、その歌詞も忘れたいと思いながらカリマーと取り組んでいた。…“指輪をつけた褐色の娘が…トラ、ラ、ラ、ラ…”…いろんな考え事の合間を縫って意味のない歌だけがしつこく口をついて出てくるのだった。」(235ページ) 日本国内で3千メートルに満たない山をたまにチョロッと趣味で登る私にとって、ジョーやサイモンの“登攀”には全く及ばないことは百も承知。 なのでジョーの体験した極寒、孤独、恐怖、激痛、飢え、渇きに自身の体験を重ねるなんて、おこがましいにも程があるのもわかってます。 でも、映画「運命を分けたザイル」を見たときに、ジョーが悪戦苦闘するさなかに、なぜか「ボニーM」の能天気な曲が頭の中をリフレインするシーンがあって、ジョーにとって極限ぎりぎりの場面なのによりにもよってその歌かい!と思って大爆笑したのを覚えている。 つまりそれは、山登りでつらくて苦しくて心臓が口から飛び出そうなくらい逼迫した場面で、その「なんでこの時に?」というような曲が頭の中を駆け巡るというのは、私も体験したことがあるから(笑) 私の場合、それは昔の(1970年代初めの)特撮番組のテーマ曲だ。 標高が上がって疲労が蓄積され、物言う気力も完全に削がれたような苦しい上り坂の場面で、頭の中にファイヤーマンの「地球が地球が大ピンチー」とか「変われー変われー燃えるマグマのファイヤーマン」という子門真人のシャウトが脳内を駆け回る。 これって何でなのだろう? だって、普段の生活で、例えば電車に乗っていたり人と待ち合わせをしているときとかも含めて、そんな曲を思い浮かべることなんか全くなかったから。 ファイヤーマンの歌なんか自分の日常生活からまったく隔絶された歌だ。頭の片隅にすらないという自覚しかない。 なのに、なんで「こんな時」に「こんな曲」が頭の中に出てくるのか? そもそも、この「追い詰められたときに思い浮かぶ曲」というのは、その人の人生経験や体験とどういう連関性があるのだろうか? 手塚治虫「アドルフに告ぐ」では、日本人の主人公がナチスの拷問を受けて意識朦朧となったときに早稲田大学校歌が口をついて出るというシーンがあるが、そういう普段は脳内の引き出しの奥深くにしまわれている歌や曲が切羽詰まった場面で唐突に飛び出てくるというのは、脳の機能上、どうなっているのだろうか? これって学術的に解明されてないと思う。解明されたら面白いのに… 以上、少し本の内容から離れすぎたけども、“意味のない脳内リフレインの1曲”が具体的体験により描写されているというこの一事だけでも、この本は貴重である。
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ここ最近読んだ本の中でダントツにおもしろい。山岳ドキュメンタリー本の極北だと思う。後半読みながら自分自身も寒さと痛みをひたすら感じながら読んでいた。自分なら死ぬ自信があるし、やはり、ザイルを切ると思う。映画「運命を分けたザイル」の原作らしい。映画も見てみたい。
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クレバス=雪渓などにできた深い亀裂。壁面は垂直、割れ目の幅は1m~。深さは10m前後~。底に氷のとけた水が溜まっていることも。 ここまでで既に息を呑む…
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運命を分けたザイルの原作ともなっている本。とにかくどうしてこの人たちが生還しているのかが読んでいるうちに信じられない気持ちになってくる。
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アンデスの氷壁で吹雪につかまり骨折、滑落、パートナーによるザイル切断。で、生還したジョーがかっこよすぎる。ラストで思わず落涙。甘っちょろい死ぬの生きるののお涙頂戴など吹っ飛ぶ感動。
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※このレビューにはネタバレを含みます
前半、のろのろ、後半一気に読めました。 最初は登山用語がわからずどんな過酷な山を登っているか イメージがつかめませんでした。 後半、絶望的な事故の後で以下に 生還するか、極限の人間はそんな時どんなことを 考えながら行動しているのかというところには 引き込まれました。 意思の力で本当にすごいことが 成し遂げられるんだな、と感じました。
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