人間を探し求める神 の商品レビュー
クリスチャンになる動機は色々あるでしょうが、 私の場合は物事つくかつかないかの頃に湧いてきた神への、 イエスへの憧れである。 どこに行けば神がいるのか、それから20年以上教会を訪ね回った。 「アデルの恋の物語」を彷彿とさせるくらいの熱心さ、必死さで。 どこにも安住の地は見出せず、...
クリスチャンになる動機は色々あるでしょうが、 私の場合は物事つくかつかないかの頃に湧いてきた神への、 イエスへの憧れである。 どこに行けば神がいるのか、それから20年以上教会を訪ね回った。 「アデルの恋の物語」を彷彿とさせるくらいの熱心さ、必死さで。 どこにも安住の地は見出せず、それならばナゼにあなたへの憧れを消し去って下さらないのか?!と、最後は怒りさえ湧いてきてイエス様が本当にいるなら洗礼を受けさせろ!と神に文句をありったけの熱意を吐き出すように祈ったね。 20年以上さまよった私が、その怒りの一週間後、その時はまだ出会ってさえいなかった宣教師の方から洗礼を受けたのは、奇跡でないとしたらなんだろう? しかし、そこから紆余曲折あり、結局カトリックに招かれたわけだが、当時を振り返るに、私が神を追い求めていた以上に、神が私を探し求めていたのではないかと、このヘシェルの「人間を探し求める神」の存在を知って、思うようになった。 聖書をその視点で紐解けば、人間が嫌がって拒否しているにも関わらず呼びかける神の姿がそこここに。 そもそも知らない存在を追い求めるなんて出来ない。 始めに神がヒトの胸にポトリと種を落とす。 それはやがて芽を吹き、育ち花開く。 ふるさとの記憶がそもそも人間にはあるからだ、と仰る方もいらっしゃるが、アウグスティヌス がいみじくも書いたように、 「あなたは私たちをあなたにむけてお造りなりました。 それゆえ私たちの心はあなたに憩うまでは安きを得ることができないのです」 その通りだと思う。 まさにアーメン、アーメンである。 あなたにここにいて欲しい、 それこそが神の最大のメッセージではないかと感じている。
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