霞町物語 の商品レビュー
孫を中心に3世代の人生。 戦前から戦後まで。 いつも色はみんな同じに見えているのか気になってたけど 形と光と影だけは本物。 そう思えばいいのか。
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
会いにいきたい、あの日の君に。 輝かしい青春を、僕らはこの町で生きた。 霧はいよいよ深く、明子(はるこ)の髪を隈取る街灯をぼんぼりのように滲ませていた。 まったく唐突に、祖父の訓(おし)えをひとつ思い出した。 その口ぶりを借りれば、「男てぇのは別れのセリフだけァ、惚れたとたんから決めてなきゃならねえ」のだそうだ。 (アマゾンより引用) オムニバス形式の短編集。 結構じ~んとくる話が多かった(;ω;) おじいちゃんの亡くなる件が何とも(;ω;)
Posted by
浅田次郎の短編は好きなのだが、ちょっと乗り切れなかった。多分浅田さん自身の青春を描いたものだろう。昭和30年代の高校生、ちょっとお金持ちで、青山、麻布、六本木界隈、当時霞町と言われた町在住で、車を転がし、夜はバーへ女をひっかけに行く。若大将でも出てきそうな時代。主人公の祖母に関係...
浅田次郎の短編は好きなのだが、ちょっと乗り切れなかった。多分浅田さん自身の青春を描いたものだろう。昭和30年代の高校生、ちょっとお金持ちで、青山、麻布、六本木界隈、当時霞町と言われた町在住で、車を転がし、夜はバーへ女をひっかけに行く。若大将でも出てきそうな時代。主人公の祖母に関係した「雛の花」「遺影」が良かった。
Posted by
浅田氏の自伝的物語。年齢層が上の人ほど響くものがあるかもしれない。私は浅田氏の読んでいてどんどん引き込まれる作品の方が好きなので、期待していたものと違ったが、こういう作品もあって良いと思った。
Posted by
東京の今はおしゃれな町と呼ばれるあたりを霞町と呼んでいた頃の作品。時代背景にピンとこず、世界観にはまれませんでしたが、一気に読ませる(読ませて頂き)あたりは、さすが浅田次郎。
Posted by
時代背景がかなり古かった事と 東京の決まった地域の話だった事もあり いまいち話しに入り込むことはできなかったけど 改めて浅田次郎の文章は綺麗だなと思いました。 情景描写にしても、心理描写にしても ありきたりの言葉を使いながらも 私には到底思いつかないような表現力で ...
時代背景がかなり古かった事と 東京の決まった地域の話だった事もあり いまいち話しに入り込むことはできなかったけど 改めて浅田次郎の文章は綺麗だなと思いました。 情景描写にしても、心理描写にしても ありきたりの言葉を使いながらも 私には到底思いつかないような表現力で 驚かされます。 霞町という今はない町を舞台にした 1つの家族模様を8つの短編小説で綴っています。 主人公の祖父の魅力がひしひしと伝わってくる 「遺影」と「卒業写真」が良かったです。
Posted by
もしかしてこの話は、浅田さんの自分の話なのかな。 私が5年間毎日通ってたあの辺りには、40年前には彼等がいたのかもしれません。
Posted by
その当時の町の様子、主人公達が目に見えるように浮かんで来るのは、作者の巧さだろうと思う。 浅田さんの本はいつも後味がいいのと、カッコ良さがあるかな。
Posted by
浅田次郎ではこの『霞町物語』が最も好きだ。初期の短編集である。 私は版画も好きだが、どんな版画家も大御所になる以前の若い頃の作品を愛好する。作風が完成されて一糸乱れぬものよりも、「自分って版画家としてやっていけるのだろうか」みたいな迷いも含んだ荒削りな線に惹かれる。巧まら...
浅田次郎ではこの『霞町物語』が最も好きだ。初期の短編集である。 私は版画も好きだが、どんな版画家も大御所になる以前の若い頃の作品を愛好する。作風が完成されて一糸乱れぬものよりも、「自分って版画家としてやっていけるのだろうか」みたいな迷いも含んだ荒削りな線に惹かれる。巧まらざる「手癖」みたいなものが垣間見れるところも好きだ。 これは、いかなる芸術にも共通なのではないかと思う。 今は西麻布と呼ばれる辺りにあった霞町の写真館が物語の舞台。車を乗り回し、六本木あたりでナンパする。受験を控える写真館の三代目、「僕」の60年代的青春グラフィティーが8編収まっている。だが隠れた真のテーマは青春譜ではなく、「祖父の人生」あるいは「祖父と僕」だ。 それが最もよく解るのが最後に収められている「卒業写真」である。 家の鴨居に「老師」と題された写真がある。 「僕」の父二代目伊能夢影が撮影した初代のスナップである。神宮の絵画館前の銀杏並木で、黒マントを着たお爺ちゃんは蔭り始めた陽を背に浴びながらうつむき、何かを探し求めている。父の写真家としての出世作となった一枚だ。父は祖父の弟子だった、だから「老師」なのだ。 架空の一枚なのだが、読んで行くにつれ、なぜだか絵柄がありありと眼に浮かぶ。これは巧まらざる(あるいは、見事に企まれた)浅田次郎の技である。と私は思う。 背景となっている絵画館と銀杏は、数多くのドラマや写真で多くの人の脳裏にイメージは出来上がっている。 その背景の中、夕日を浴びてうつむく黒マントの老人。誰しも見たことがあるはず。小学校の図書館に並んだ作家の肖像写真、髭の漱石、頭の光った鴎外、頬杖をつき眉間に深い皺を寄せた芥川・・・その隣に並んだ宮沢賢治のスナップを、作家の名は忘れても映像イメージとして、多くの人が潜在意識のなかに持っているはずの「あれ」である。 ありありと浮かぶのはこれらのいわばサブリミナル効果と言ってよいかもしれない。 同じ絵画館前で、呆けの始まった祖父は錯乱する。 孫と戦争で死んだ息子を間違えたりする。正気に戻った祖父は、学徒出陣で死んだ叔父のことを訥々と話し始める。ここでまた、読むものの多くは「神宮球場」、「学徒出陣」のキーワードから、ひとつのモノクロ映像を検索結果として頭に浮かべる。雨の神宮球場を、学生服にゲートル姿の一団が行進する。「学徒出陣」といえばこのドキュメント映像が自動再生のごとく浮かぶ。 このとき真っ先に戦地に送られたのは、東大・早稲田・慶応の3校の学生であったのだ。 「じいちゃん、一生にいっぺんだけ、ライカのシャッターが切れなかったことがある」と祖父が言うのは、その雨の壮行会でのことなのだ。慶応の予科への進学を認めた事を祖父は悔やんでいた。 「老師」が銀杏の枯葉の中に探していたのは息子の影だったのであろう。祖父は受験生の孫に言う。 「おめえに頼みがある。慶応にだけは行ってくれるな」 こんな台詞で読者を泣かす。こんな台詞で泣けるだけのお膳立てが、狙いすまされた精密さでかっちり組み立てられている。 他の作品の例をひとつだけあげれば、『壬生義士伝』では、虐げられ蔑まれ続けても健気に生きつづける、南部の(ひいては東北の人々の)歴史と人の心を存分に織り込み、それをビジュアルなイメージとして象徴する「石割桜」を暗喩として、けして明示的にではなく描いている。 そこで、「南部の子だらば、石を割って咲け」の台詞がある。 浅田作品がかくも多くの人を泣かせずにいられないのはなぜか、その一端はこういう技によるのかもしれないと思う。 さらに、この短編にはことのほかの感慨が、私としては個人的にある。そのエピソードを最後に紹介してレビューを締めくくりたい。 学生時代の夏休み、大学の図書館は人気がなかった。8月のその時期、展示室では「わだつみの声、戦没学生特集」と題された企画展示がなされていて、私は偶然に通りかかってそれを見た。 「かあさん、僕はどうして・・・」手書きの手紙が自分と変らない口調で語っていた。「自分はぁ」みたいな軍国口調ではない。「私は明確に言えば自由主義に憧れていました」という言葉もあった。彼は神宮から出征し沖縄で戦死した。22歳。私はそのときの彼と同じ年齢で、同じ学部で学んでいた。 遺品の学帽には手が届いてしまいそうだった。 遺影は、はじけるように若く美しい笑顔でこちらの方を見つめていた。 いつもならごったがえしている図書館は、なぜだか無人で鎮まりかえっていた。居るのは私と、「彼」だけであった。
Posted by
読みやすい本でした。これは著者が自分の子供時代のことを書いたものなのでしょうか?そうだとすると、結構とんでもない子供時代だったことが分かります。でも、周りの大人たちが背負った深い人生を垣間見ることができたのは、よかったです。
Posted by
- 1
- 2