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イエス像の二千年 の商品レビュー

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2022/06/19

神学者や教会のなかだけでなく、西洋文化史におけるイエス・キリストのイメージの変遷を18のキーワードで辿る。 読みごたえがありすぎて疲れたが、勉強になる一冊だった。語順を整理していないせいで翻訳が読みづらいところもあるのだが、この手の本は原文も難しいだろうから仕方がないとも思う...

神学者や教会のなかだけでなく、西洋文化史におけるイエス・キリストのイメージの変遷を18のキーワードで辿る。 読みごたえがありすぎて疲れたが、勉強になる一冊だった。語順を整理していないせいで翻訳が読みづらいところもあるのだが、この手の本は原文も難しいだろうから仕方がないとも思う。 やはり、キリスト教がユダヤ教の一派からローマの国教になる過渡期の話が面白い。キリスト教徒は異教徒の優れた文献を積極的に読み替え、イエスとソクラテスをダブらせた(予型論)。これがのちにラファエロの『アテネの学堂』にまで繋がっていく。 あるいは、本来は男女の相聞歌でしかない旧約の「雅歌」を、新約の四福音書の予型として読み替えていく中世キリスト教神秘主義の試みが、マニエリスムやバロックの時代に複雑な寓意画が描かれる下敷きとなった。西洋絵画の歴史は、その時代の聖書の読み方に大きく影響を受けている。 また、今まで積極的に調べたことがなかったアッシジのフランチェスコの後世への影響のデカさには慄いた。記録に残る限り、イエスが釘を打たれたのと同じ手のひらにスティグマが発現したのは彼が史上初だとか、当時重要視されていなかったイエスの誕生日(という設定)の祝日をフックアップし、クリスマス・イヴにミサを開いて「幼子イエス」に注目させたのも彼だったとか。フランチェスコが登場する山尾悠子『ラピスラズリ』の最終章にはそんな意味もあったんか〜!と膝ポン。 ピューリタンのイエス解釈を追っていくと、近代ヨーロッパの植民地主義、反ユダヤ主義、資本主義が生まれてくる土壌が少しわかってくる。ルターはその抜群の言語センスで聖書をドイツ語に訳し、神の国の実現と世俗社会での利益追求という二律背反に折り合いをつける解釈を施した。それが地上で権力や財産を求め、戦争を肯定することにすらつながっていった。 けれど、イエスはもちろん虐げられた人びとの救い主でもあった。南北戦争、インド独立運動、公民権運動のとき、人びとは解放者イエスを象徴として掲げた。奴隷制支持者、植民地主義者も自分たちの正当性をイエスの言葉から引いていたのは皮肉だけど。その多義性こそが、〈イエスの文化史〉の問題含みで面白いところだ。同じ言葉がマジョリティの権威を支えるためにも、その権威をマイノリティがひっくり返すためにも使われる。 ヨーロッパがどんなに人間中心主義になっても、あるいはだからこそ、神であり人でもあるイエスは規範であり続けた。啓蒙主義の懐疑の時代を超えて今も、西洋思想の裏にはずっとイエスというユダヤ人のひとりの男がいるのだ。今後も西洋の文化に触れるにあたってのヒントをいくつも与えてくれる一冊だった。

Posted byブクログ