市場対国家(下) の商品レビュー
上巻を読んでから、投稿まで随分間が空いてしまった。 そもそも、大前研一さんのメルマガでサラッと名著であると登場していて、網羅的な本だったけれど何とか放棄せずに読み切ったのだった。 この間アフリカで自立支援教育を行いたいと目を輝かせていた女の子に、「インドは資源が少なくて人が多い...
上巻を読んでから、投稿まで随分間が空いてしまった。 そもそも、大前研一さんのメルマガでサラッと名著であると登場していて、網羅的な本だったけれど何とか放棄せずに読み切ったのだった。 この間アフリカで自立支援教育を行いたいと目を輝かせていた女の子に、「インドは資源が少なくて人が多いね。ムハマド・ユヌスのマイクロファイナンスは知ってる?」とか無理矢理な会話を振ったのは、この本が元ネタです(笑)。 ・著名なインド人経済学者が苦々しく語ったよう、「インドの不幸は、優れた経済学者がいたことだったという皮肉な見方は、まったくの間違いというわけではない。経済が好調な東アジアの諸国にはなかった悩みだ。」しかし、その背景には切迫感があった。インドは、天然資源も経済資源もきわめて乏しい。資源の配分を指示しなければならない。そうしなければ、ある政府高官がかつて説明したように、口紅のようなつまらない製品の製造に資源が無駄に使われることになりかねない。こうしたリスクをおかすには、インドが直面する問題はあまりに切迫しており、国民の苦悩はあまりに大きかった。イン ド政府は 、ソ連の中央計画経済にならって重工業に資源を集中させようとした。決定的に誤っていたのは、投資の生産性や製品の質や価値ではなく、投資そのものを重視した点である。 ・こうした公企業の典型ともいえるのが、ヒンドスタン肥料である。1991年、インドが経済危機に陥ったとき、千二百人の従業員は、創業以来十年以上そうしているように、毎日、勤務表をつけていた。唯一の問題は、販売できる肥料を一度も製造していないことだった。このプラントは、1971年から79年にかけて建設されたものであり、かなりの額の公的資金を投入して、ドイツ、チェコスロバキア、ポーランドなど数カ国から機械を購入した。 基本的な決定をくだした官僚にとって、設備はかなりの買い得に思 えた。輸出信用で資金を調達できたからだ。ところが、機器の組み合わせが悪く、操業することができなかった。関係者全員が、ただ操業のふりをしていたのである。 ・社会的価値に関する規制と法律の直接的な影響は、アメリカ特有の「敵対的法制度」、すなわち訴訟によってさらに大きくなっている。これはブルッキングズ研究所の上級研究員、ピエトロ・ニボラの言葉であり、訴訟を「私人の間の対立を解消する手段」としてだけでなく、「統治や社会的規制のための制度」としても使うことを意図した法制度を意味する。「対応の悪い企業に対し、数百万ドルの損害賠償支払いを命じる懲罰的判決を下す陪審員は、私人の間の対立以上のものを検討している。陪審による民事訴訟 判決は、消費者製造物安全委員会や雇用機会均等委員会が下す命令とおなじように、社会の脅威を防止する効果があるとされている」とニボラ研究員は説明する。 ・市場の重視は、一部の人たちにとって信仰に近いものになっている。しかし、こういう人たちは少数派であり、現実をみつめて、いくつもの選択肢を比較検討した結果として、市場を重視する人の方がはるかに多い。シンガポールの現代化の父といえるリー・クアンユー上級相が、この点をうまくまとめている。市場を重視するようになったのはなぜかとの質問に、「共産主義は崩壊した。混合経済は失敗した。ほかになにがあるのか」と単純明快に答えているのだ。
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20世紀の世界史を「経済成長のカギを握るのは市場か国家か」というパースペクティブから構築した大著の下巻。 本書のテーマである「考え方が経済政策を作る」という観点から、どのようなリーダーがどのような考え方に基づき、経済成長を実現しようとしたかが下巻でも克明に描かれていく。具体的に...
20世紀の世界史を「経済成長のカギを握るのは市場か国家か」というパースペクティブから構築した大著の下巻。 本書のテーマである「考え方が経済政策を作る」という観点から、どのようなリーダーがどのような考え方に基づき、経済成長を実現しようとしたかが下巻でも克明に描かれていく。具体的には、複雑な官僚による許認可制度による硬直的な経済を脱しようとするインド、国家による経済統制を行うも経済が破綻しインフレーションに悩まされ続ける中南米の経済改革、サッチャリズムとレーガノミックス以降の市場と国家のバランスを志向しつつ各国固有の事情から経済政策が異なってくるヨーロッパとアメリカを舞台としつつ、最終章では結論として、21世紀にどのように市場と国家のバランスを取っていくのか、その考え方を決定づける5つの枠組みを提示している。 ======== ①成果をあげているか? 経済成長を示す指標として代表的なGDPや生活インフラの整備率、失業率など、定量化できる経済パフォーマンス指標が確実に成果に結びついているのか。特に失業率が世論に与えるインパクトは大きく、失業率が高水準のままではその経済政策が国民から信認を得るのは難しい。 ②公正さが保たれるか? 公正さは定量化が難しいものの、市場経済の評価において分配の問題は欠かせない。例えば、イギリス労働党のトニー・ブレアの経済政策は、保守党のマーガレット・サッチャーの経済政策を継承しつつ、そこに公正と弱者への配慮という社会民主主義の価値観をミックスした点に特徴がある。 一部の人間だけが富を得るような事態が発生し公正さに疑いの目が向けられれば、必ず市場主義への疑問がそこには発生する。この点で、市場経済下の公正さを保つためには、司法制度による明確なルール作りが欠かせない。 ③国のアイデンティティを維持できるか? 市場経済の進展とグローバル化により、各国固有の文化やアイデンティティが脅かされる場合がある。この点に関する国民からの不満が高まれば、規制の強化や再国有化といった国家による経済統制を求める声が出てくる可能性は高い。この点をグローバルに活動する多国籍企業は配慮しつつ、進出先の企業との合弁なども含めた打ち手を構築する必要がある。 ④環境を保護できるか? 環境問題は国際的にも極めて優先順位の高い問題であるが、先進国と開発途上国間の対立が発生しやすい構造になっている。さらに、例えばインドネシアの森林火災がマレーシアやシンガポールの大気汚染の原因となるように、国際的な問題にもなっている。この解決のためには排出権取引など市場メカニズムの活用も視野に入れつつ、民間セクターの役割が大きくなるはずであるし、各企業も環境保護に向けた姿勢や取組が評価されるようになるはずである。 ⑤人口動態の問題を解決できるか? 開発途上国では若年層の人口比率が高いため、彼らに十分な雇用を与えることができるかが重要になる。それが叶わない場合、開発途上国間や先進国への移住により、新たな国際問題が発生する可能性がある。また、先進国では社会の高齢化が最重要であり、特に年金問題は規模の点で戦争にも次ぐ財政問題になりかねない。高齢者に対する医療保障と年金を、どこまで政府が保証しつつ、市場に任せることができるのか、その問題はそう遠くない将来に開発途上国でも発生する問題となるだろう。 ======== 歴史を振り返りつつ今後の経済政策を考えるための「市場対国家」というパースペクティブを各国の詳細な記述により明確に示している本作は、極めて明快な表現も相まって、多くの人の読まれるべき一冊だと感じた。
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全体的に市場万能論的な書かれ方が多く、混合経済をどこまで縮小できるかなんて言葉も見られたりするが、私がこれをよんで感じたのは如何に市場を上手にコントロールするかであり、そのコントロール方法は変化してきたということだった。 この本の原題は「コマンディング・ハイツ(管制高地)」だそう...
全体的に市場万能論的な書かれ方が多く、混合経済をどこまで縮小できるかなんて言葉も見られたりするが、私がこれをよんで感じたのは如何に市場を上手にコントロールするかであり、そのコントロール方法は変化してきたということだった。 この本の原題は「コマンディング・ハイツ(管制高地)」だそうで、イギリスのサッチャー改革の件でこの言葉が強調されているしでどうも邦題は誤解があるきがする。 本当に危険なのは既得権益ではなく考え方である ケインズの言葉を踏まえて読むとえるものは多いと思う。
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1996年クリントン一般教書演説:「大きな政府の時代は終わった」 クリストル(ネオコン):「考え方は、なににもまして重要なのだ。どの社会でも構成員の頭の中の考え方が変われば、いとも簡単に変わってします。思想の力は偉大である。」 1997年ブレアの地滑り勝利:「サッチャリズム+優し...
1996年クリントン一般教書演説:「大きな政府の時代は終わった」 クリストル(ネオコン):「考え方は、なににもまして重要なのだ。どの社会でも構成員の頭の中の考え方が変われば、いとも簡単に変わってします。思想の力は偉大である。」 1997年ブレアの地滑り勝利:「サッチャリズム+優しさ+弱者への配慮」 政府による管理から市場重視へと合意が変化したのは、いくつもの力が働いたからである。それでも、信念と考え方の変化が、国の力に対する信任から市場の信頼性の重視への変化が、すべての基本になっている。この変化が定着するか、揺り戻しがあるのかを決めるのは、市場の基礎になっている信任の質と性格である。この信任は市場のリスクと不確実性、市場とその価値の利点と限界が現実的に評価されていれば、持続する可能性が高くなる。将来、国と市場の境界はどこになるのか。この問いに対する答えは人々の判断と経験によって、信念がどのように変化し、信任の均衡がどちらに振れるかで決まってくるだろう。
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