哲学の道場 の商品レビュー
哲学にはセンスが必要である 哲学には暇が必要である 哲学には師と仲間が必要である 哲学には修行が必要である 著者:中島義道(1946-)
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哲学とは、驚きである。 そして同時に、負けん気である。 なんてことを言ってる場合じゃないです。 本書はスゴイ。何が、ではなく、ただスゴイ。 中島義道、という人を本書で初めて知りました。 名前だけは聞いたことがあったのですが。 しかし、強烈でした。 力のある言葉を駆使する方だな...
哲学とは、驚きである。 そして同時に、負けん気である。 なんてことを言ってる場合じゃないです。 本書はスゴイ。何が、ではなく、ただスゴイ。 中島義道、という人を本書で初めて知りました。 名前だけは聞いたことがあったのですが。 しかし、強烈でした。 力のある言葉を駆使する方だな、と言うのが正直な印象です。 それは否定的な意味ではありません。 人間精神の核となる部分を、鷲掴みにされてグラグラと揺さぶられるような感覚。 言葉に、力がみなぎっている感じです。 なーんて書くと、激烈な批判を受けそうな気がします。 僕が書いているような論説は、もっとも批判を受けるような種類のものでしょう。 こんなことを書くと、さらに怒られると思いますが。 それでも、氏の書いたKant解説書を読んでみたいと思いました。 氏のfilterを通したKant像というものが見てみたい。 本書でちらっと触れられてはいるのです。 その煌めきが、あまりにも美しく、素晴らしかったのです。 野矢茂樹氏のfilterを通したWittgensteinのように。 中島義道氏のfilterを通したKantを知りたい。
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安易な哲学案内を厳しくしりぞけ、「私」や「時間」や「死」といった哲学的な問いを、生きることそのものにしてしまったような本当の哲学者の姿を示そうとした本です。後半では、ライプニッツの『人間知性新論』やカントの『純粋理性批判』をじっさいに読んでみることで、哲学の問題を徹底して考え抜く...
安易な哲学案内を厳しくしりぞけ、「私」や「時間」や「死」といった哲学的な問いを、生きることそのものにしてしまったような本当の哲学者の姿を示そうとした本です。後半では、ライプニッツの『人間知性新論』やカントの『純粋理性批判』をじっさいに読んでみることで、哲学の問題を徹底して考え抜くことを、著者が実演してみせています。 本書に示された「哲学者」像があまりにも厳しいもので、思わず尻込みしてしまいそうです。
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「哲学する」とはどういうことか、そしてそれがいかにむずかしいかを語った一冊。あとがきで著者はこう締めます。「いいかげんな気持ちで哲学するなら、まったくしないほうが(世のため人のため、家族のため、そして何よりも本人のために)よっぽどいいのです……。」
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第四章を読んで、私自身に哲学的センスが無いことが分かった(予想はしてたけど)。されど「哲学は理解出来ずとも、哲学(及びその周辺)から学べるものは皆無ではない」という気はする。自分なりの付き合い方を探ってゆけば宜しいのではないか。
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最近「哲学すること」から離れていた私でしたが、この本を読んで「あぁ、自分は哲学に向かなくなったんだなぁ」と胸をなでおろしたくなりました。 中島義道が指摘することは、「哲学はやさしくない」 「哲学は役に立たない!金銭的にはもちろん、精神的にも。」ということ。 今生き、いずれ死ぬ...
最近「哲学すること」から離れていた私でしたが、この本を読んで「あぁ、自分は哲学に向かなくなったんだなぁ」と胸をなでおろしたくなりました。 中島義道が指摘することは、「哲学はやさしくない」 「哲学は役に立たない!金銭的にはもちろん、精神的にも。」ということ。 今生き、いずれ死ぬ私についての重い重い問いかけをねちっこく続けなければならない。 カントの短いが難解な文章を取り上げ、それを丁寧に解説してくださりましたが、なんとなくわかったような分からないような…。 哲学をする(せざるを得ない)人にとってはよい指南役にはなるのではないでしょうか。
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[ 内容 ] 哲学は無害なもの、品行方正なもの、そして立派なものとして語られることが多い。 けれども、それはあらゆるものへの根源的な懐疑から出発するという点で病気に近いものであり、凶暴で、危険で、しばしば反社会的でさえある。 では、なぜ人は宗教ではなく、哲学を必要とするのか。 日...
[ 内容 ] 哲学は無害なもの、品行方正なもの、そして立派なものとして語られることが多い。 けれども、それはあらゆるものへの根源的な懐疑から出発するという点で病気に近いものであり、凶暴で、危険で、しばしば反社会的でさえある。 では、なぜ人は宗教ではなく、哲学を必要とするのか。 日本語で哲学するとは、具体的にはどういうことなのだろうか。 死の不条理への問いから出発した著者が、哲学の神髄を体験に沿って解き明かす。 [ 目次 ] 第1章 哲学にはセンスが必要である 第2章 哲学には暇が必要である 第3章 哲学には師と仲間が必要である 第4章 哲学には修行が必要である [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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2冊目の中島義道。「まずはこれ。」の『哲学の教科書』に続き,「次にこれ。」のこの本です。(詳細は『哲学の教科書』の感想を参照。)書いてあることのだいたいは『教科書』と同じ。哲学をする心構えと,哲学研究者になり下がらないように注意を促す。ただ,『教科書』のほうでは哲学研究者を非難し...
2冊目の中島義道。「まずはこれ。」の『哲学の教科書』に続き,「次にこれ。」のこの本です。(詳細は『哲学の教科書』の感想を参照。)書いてあることのだいたいは『教科書』と同じ。哲学をする心構えと,哲学研究者になり下がらないように注意を促す。ただ,『教科書』のほうでは哲学研究者を非難していたのに対し,哲学研究者も世の中には必要なんだなあということを僕はこの本から読み取りました。『教科書』よりも,哲学者の書いた文章からの引用が多い。けっこう序盤から哲学書を読む作業をしていて,最後にカントを読むのですが,カントは僕にはどうしようもなかった。途中放棄。最初の方にあるキルケゴールの文章なんかは楽しかったんだけど・・・中島さんは大森門下だけあって,理科系の素養もきちんとあるのが素晴らしいと思います。多分,今の僕なんかでは全く歯が立たないほど物理についても知っているのだと思う。群論やルベーグ積分を学んだり,シュポルスキーの『原子物理学』を読んだりしたと書かれていましたね。その大森先生のしゃべり方がかわいいんですけど,本当にこんなしゃべり方だったんですかね。大森先生や有名な人ばっかりの門下生たちと飲みに行ったりするエピソードが本当に楽しそうで,うらやましかった。中島義道は2冊読んだし,こんなところでいいかなあと。この人って正直,しょうもない本ばっかり書いてるイメージですもんね。あとは、そのうち大森荘蔵も読んでみたいです。
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