日本浪曼派批判序説 の商品レビュー
読みにくい本だ。簡単に感想など書ける本ではない。橋川の文章が難しいからか。それもあるが、それだけではない。カール・シュミットの『政治的ロマン主義』に依拠して、日本浪漫派の観念性と政治的リアリズムの欠如を批判したと取り合えずは要約できる。橋川自身そう言ってるし、その通りなのだが、そ...
読みにくい本だ。簡単に感想など書ける本ではない。橋川の文章が難しいからか。それもあるが、それだけではない。カール・シュミットの『政治的ロマン主義』に依拠して、日本浪漫派の観念性と政治的リアリズムの欠如を批判したと取り合えずは要約できる。橋川自身そう言ってるし、その通りなのだが、そんな分かり易い構図におさめてしまうには、あまりに大きな陰影を湛えた本だ。本書の上っ面をなぞった日本浪漫派批判が後を絶たないが、そのような安易な総括で日本浪漫派を克服できる筈もないし、それが再び登場しない保証などないことを橋川は知っている。 日本浪漫派は近代への単なる反動ではない。近代をしゃぶりつくした果ての極北に浮かんだ悲しい幻だ。凡ゆるものが幻であることを悟ってしまった近代が、それでもなお希望を持ち得るとすれば、幻としての希望をイロニーという形式で語る他ない。その意味で日本浪漫派は近代の帰結である。だから保田輿重郎のイロニーを批判する本書もまた一つのイロニーなのだ。そのことを橋川自身が自覚していたと思う。橋川の曖昧で両義的な文体が何よりそれを物語っている。本書のわかりにくさもそこにある。 あとがきで橋川は「丸山真男先生が、じかにひとことも批評されなかったのも僕には嬉しかった」と書いているが、橋川の気持ちがわかる気がする。日本浪漫派の非政治的審美主義の陥穽を剔抉した本書は、政治における「作為の論理」を重視した丸山の問題意識と重なるが、それが絶望的な閉塞状況への実存的応答であるとみる点は、丸山の日本ファシズム論の死角を突くもので、師への痛烈な批判である。だが橋川は丸山なら理解してくれると思ったのではないか。多くのエピゴーネンとは違い、丸山は単純な近代主義者でない筈だと。
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昭和10年代の思想史、精神史、中でも同時代の文学史に関心を有する人に強く薦めたい。本書は普通、保田與重郎と関連づけて問われるが、ここではあえて、『井上良雄評論集』(国 文社、1971)を読み解くこと、それも井上の軌跡をふまえてひもとくことを推奨する。 (2010: 村松晋先生推薦...
昭和10年代の思想史、精神史、中でも同時代の文学史に関心を有する人に強く薦めたい。本書は普通、保田與重郎と関連づけて問われるが、ここではあえて、『井上良雄評論集』(国 文社、1971)を読み解くこと、それも井上の軌跡をふまえてひもとくことを推奨する。 (2010: 村松晋先生推薦)
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