映画が生まれる瞬間 の商品レビュー
今日、吉沢京夫について、件の友人Hより追記が電子メールで届いたので、再び引用したいと思う。 「吉沢京夫をめぐる最大の疑問、映画出演から遠ざかった理由はやはり判らない。京大の演劇仲間という経歴は戸浦六宏と同じである。さするに戸浦・渡辺・小松・佐藤と並んで大島一家を形作る可能性...
今日、吉沢京夫について、件の友人Hより追記が電子メールで届いたので、再び引用したいと思う。 「吉沢京夫をめぐる最大の疑問、映画出演から遠ざかった理由はやはり判らない。京大の演劇仲間という経歴は戸浦六宏と同じである。さするに戸浦・渡辺・小松・佐藤と並んで大島一家を形作る可能性はあったと思える。大島との間に何らかの軋轢が生じた可能性は容易に推測できるであろう。」 以上が友人Hからの電子メールの内容である。だが、創造社がやがて大島プロに発展解消していく過程で、大島渚の忠実なシンパサイザーであった戸浦六宏、渡辺文雄、小松方正、佐藤慶といった常連俳優たちも結局は、大島渚本人によって冷酷に切り捨てられてゆくのである。この冷酷さはカリスマ性の裏返しであったわけで、このあたりの本人の回顧が、写真下掲の梅本洋一著『映画が生まれる瞬間―シネマをめぐる12人へのインタヴュー』(勁草書房 1998刊)に収録されている。これは梅本洋一と僕が共同で行った、大島渚の現役最晩年のインタビューであり、「カイエ・デュ・シネマ」誌のパリ首都圏限定増刊「大島渚:父と息子」特集号に翻訳掲載されるために行ったものである。僕としては、内容的にも自信の持てる取材内容だったと自負している会見であった。
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