物語 信州そば事典 の商品レビュー
そばでおいしいところは全国各地ある。その中でも信州ソバは日本のソバの歴史に大きな役割を果たしている。 日本に食物のソバが入ってきたのは、縄文時代だった。高知県の高台で、花粉分析のために採取したサンプルから、縄文草創期のソバ花粉が見つかった。放射能性の絶対年代測定によると、9...
そばでおいしいところは全国各地ある。その中でも信州ソバは日本のソバの歴史に大きな役割を果たしている。 日本に食物のソバが入ってきたのは、縄文時代だった。高知県の高台で、花粉分析のために採取したサンプルから、縄文草創期のソバ花粉が見つかった。放射能性の絶対年代測定によると、9330年前プラスマイナス200年前であることが判明した。 最も古く信州にソバが入ったことを証明するのは、野尻湖の湖底の底から約1500年前のソバの花粉が検出された。 そばが日本において重要な食になるのは、江戸時代からだった。そば切りで食べる以前の食べ方はどうだったのか。おやき、せんべい、そば饅頭のような食べ方をしていた。 出雲そばの由来は信州にあった。その理由は、江戸時代の大名の転封によるものだった。松本藩の藩主だった松平直政が1638年に松江藩に転封になった。そのときに信州松本からそば職人を招いて、打たせたのが始まりという島根県大百科事典(山陰中央新報社 1982年)の「割子そば」の項目に載っていたのを著者は突き止めた。 江戸時代には、そばの人気は庶民にとどまらず、将軍や大名にも愛された。特に信州産の質のいいそば粉は重宝されて、献上品にもなった。 びっくりしたのは、「もりそば」は「蒸しそば」だったことだ。蒸すというと蒸しパンのイメージがあるが、そばをゆでてから蒸したから「むしそば」と言った。 著者も言及しているが、「もり」があれば「かけ」がある。その違いはというと、「ぶっかけそば切り」が省略されたものだった。「ぶっかけ」が始まったのは、詳しい時期は不明だが江戸にそば屋ができてからそれほど時期をおかずにできたと推測している。 そばのいろいろなことが載っている。1999年に発行された本で、三省堂書店神保町本店で見つけた古本だ。神保町は知のワンダーランドだけのことはあるなあ。
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