日本の教育を考える の商品レビュー
学校教育制度は、社会的共通資本である。 本質的にはそうであるため、学校には、人間が労働装置であるゆえの生産資本として、生産性の高い装置(人間)を製造する工場機能がある。また、労働商品としての質をグレード、規格別に序列化する機能をもつ。国家や資本家にとって「分かりやすく、使いやす...
学校教育制度は、社会的共通資本である。 本質的にはそうであるため、学校には、人間が労働装置であるゆえの生産資本として、生産性の高い装置(人間)を製造する工場機能がある。また、労働商品としての質をグレード、規格別に序列化する機能をもつ。国家や資本家にとって「分かりやすく、使いやすく」するための再生産機構だ。だから、宇沢が解説するように、学歴は家庭の経済環境により大部分が決まる。資本が、拡大再生産する。私がくだらない、と考えてきた根本原理の一つだ。 しかし、社会的共通資本とは、そうした資本主義に組み込まれた人間生産工場を意味するのではないない。大学とはエソテリックな知識の蓄積を、自由な知識欲と職人気質という二つの人間的本能で追求する場であるというヴェブレンの規定を引き、かつ、ボウルズギンタスの対応原理を引く。 対応原理とは、産業社会で望ましいとされる人格特性は職種や地位によって異なり,学校教育はこうした職業構造に対応して各職種や地位に適した人格特性をもつ人材を産出する。 したがって,教育制度の社会的関係が産業社会の社会的関係と対応していると捉える理論だ。 大学教育においては、こうしたイデオロギーそのものに批判的考察を加えるような知的追求が必要であり、決して職業訓練校にはなってはならない。世の中の制度を前提に人づくりをするのではなく、制度そのものを組み直す教育が重要。学ぶ事は、本来楽しい行為である。
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経済学の泰斗として、自らの経験をもとに教育について述べている。経済学が専門ではあるため、教育の専門からすると物足りないところはあるが、これくらい社会的一般に教育のことを理解してくれる人が増えれば今の教育の変えどころも、自ずからわかるはずだ。今の教育は、この本の書かれた後、2006...
経済学の泰斗として、自らの経験をもとに教育について述べている。経済学が専門ではあるため、教育の専門からすると物足りないところはあるが、これくらい社会的一般に教育のことを理解してくれる人が増えれば今の教育の変えどころも、自ずからわかるはずだ。今の教育は、この本の書かれた後、2006年の教育基本法改正によりとどめをさされたと実感する。
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1998年刊行。著者は中央大学教授、東京大学名誉教授。本書の記述は、著者の自叙伝、あるべき高等教育(その実例としての鳥取県「公園都市」構想)、経験的大学論、デューイを軸とするリベラル教育思想、リベラル批判に対する反批判等がない交ぜで、やや焦点がぼやけている感はある。また、リベラル的発想自体は否定しないが、個人の特性に即した教育と教育の平等とは、内実如何によっては対立・競合関係を生む場合があり、また理念として平等をあげつつも内実が伴わないこともありうる。個人の教育要請に合致させつつ平等を図る制度構築。 これが重要なのだが、本書では一般論はともかく、制度の具体面になると平等を否定的に、大学の大衆化を否定的に、ともとれる論を展開し、少々戸惑う。他方、著者がライフワークとする環境問題と経済学の総合化、環境経済学の黎明、新古典派経済学者との論争、大学紛争時の東京大学経済学部の裏面、米国大学から東大復帰の際に明朗化した東大の年功序列的悪癖等は、かなり興味深い。また「自動車の社会的費用」発刊後に受けた誹謗中傷は著者の立脚点と日本社会の暗部を知る上でも意義深い暴露であろう。 ただ、教育をテーマとして掲げる場合不可避的な自由、個人の人格的価値の尊重と平等との相克は、実に慎重な検討を要し、安易な論を展開すれば忽ち説得力が欠けてしまう。平等一辺倒でも、自由一辺倒でもないバランスが求められているはずだが、残念ながらこの点の慎重さは、本書で伺うことは難しい。
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経済学を専門とする著者が、リベラルな教育のあるべきかたちについて語った本です。 著者は、デューイのリベラリズムの立場からの教育論や、ヴェブレンの大学論を紹介したうえで、ボウルズ=ギンタスの「対応原理」についての説明をおこなっています。ボウルズとギンタスの二人は、アメリカの教育制...
経済学を専門とする著者が、リベラルな教育のあるべきかたちについて語った本です。 著者は、デューイのリベラリズムの立場からの教育論や、ヴェブレンの大学論を紹介したうえで、ボウルズ=ギンタスの「対応原理」についての説明をおこなっています。ボウルズとギンタスの二人は、アメリカの教育制度が、アメリカ資本主義の矛盾をそのまま写しとっていることを指摘しました。著者はこの「対応原理」の問題提起を受けて、学校教育制度の問題は社会の問題であり、社会との密接なつながりのなかでリベラリズムにもとづく教育のありかたをさぐっています。 理想主義的な教育論が展開されていますが、中学生のときに高木貞二の『解析概論』をほとんど読んでしまったという著者の基準で教育を論じることには、やや違和感をおぼえます。
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[ 内容 ] 「私たちはいま改めて、教育とは何かという問題を問い直し、リベラリズムの理念に適った教育制度はいかにあるべきかを真剣に考えて、それを具現化する途を模索する必要に迫られています」―社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導してきた著者が、自らの経験をまじえつ...
[ 内容 ] 「私たちはいま改めて、教育とは何かという問題を問い直し、リベラリズムの理念に適った教育制度はいかにあるべきかを真剣に考えて、それを具現化する途を模索する必要に迫られています」―社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導してきた著者が、自らの経験をまじえつつ、教育のあり方を考えてゆく。 [ 目次 ] 第1部 教育とは何か(教育とは何か;子どもたちが数学を好きになる) 第2部 教育と社会体制(ジョン・デューイの教育理論;ヴェブレンの大学論 ほか) 第3部 大学生活五十年を振り返って(疾風怒濤の時代(Sturm und Drang) 日本に帰ってきて ほか) 第4部 日本の学校教育制度を考える(日本の近代化と学校教育;新学校教育制度の制定と展開 ほか) [ POP ] [ おすすめ度 ] ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度 ☆☆☆☆☆☆☆ 文章 ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性 ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性 ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度 共感度(空振り三振・一部・参った!) 読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ) [ 関連図書 ] [ 参考となる書評 ]
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教育とは何か、日本の近代教育制度の変遷など教育論的テーマについても触れられてはいるが、どっちかというと宇沢先生の個人的な経験談の方が面白かったり。それでも個人的には、デューイやボウルズ=ギンダスら知らない学者の名前が出てきて、理論教育学(っていうのか?)への橋渡しにはなってくれた...
教育とは何か、日本の近代教育制度の変遷など教育論的テーマについても触れられてはいるが、どっちかというと宇沢先生の個人的な経験談の方が面白かったり。それでも個人的には、デューイやボウルズ=ギンダスら知らない学者の名前が出てきて、理論教育学(っていうのか?)への橋渡しにはなってくれたと思う。 改革案を色々提言してはいるが、思い付きの域を出ていないような。斬新で参考になるが、役には立たない。 200円。
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