安保条約の成立 の商品レビュー
本書の構成は以下の通りである。 Ⅰ 日米交渉の準備はどうすすめられたか Ⅱ 吉田外交の展開-第一次交渉はじまる Ⅲ 日米交渉の帰結と波紋 Ⅳ 「池田ミッション」とその背景 Ⅴ 天皇・マッカーサー会見の性格 Ⅵ 「天皇メッセージ」と日米交渉 Ⅶ 「二重外...
本書の構成は以下の通りである。 Ⅰ 日米交渉の準備はどうすすめられたか Ⅱ 吉田外交の展開-第一次交渉はじまる Ⅲ 日米交渉の帰結と波紋 Ⅳ 「池田ミッション」とその背景 Ⅴ 天皇・マッカーサー会見の性格 Ⅵ 「天皇メッセージ」と日米交渉 Ⅶ 「二重外交」-一つの仮説 本書の面白いところは、前半から後半にかけて時系列となっていない部分である。 前半のⅠ~Ⅲにおいては1950年から1951年に行われる吉田・ダレス会談をめぐる講和・安保条約をめぐる日米の思惑について実証的に記述されている。 そしてこの交渉の中で、吉田茂は有効な基地カードを有効に行使しえず、米側に押し切られた形になったと論じている。 後半に入ると、この米軍の駐留を許す基地問題とそれをめぐる吉田の不手際についての仮説構築にうつる。それが1950年4月の「池田ミッション」であり、同年8月の「天皇メッセージ」である。つまり、日米安保条約の根幹をなす米軍の駐留継続の意向の発端は、内閣総理大臣兼外務大臣たる吉田茂ではなく、昭和天皇その人ではなかったのかということである。そしてこの天皇外交は、日本政府の代表たる吉田茂・外務省も、そして占領軍の最高司令官であったマッカーサーをもバイパスして、アメリカ本国へ直接働きかけた二重外交であったと言うのである。 ここらへんは一種の謎解きミステリーのような面白さがあっていいと思う。 しかしながら、本書刊行以来10年余りを経ても、この状況証拠を裏付けるような新史料も発見されず、後を追う研究者も見あたらないので、どうもこれは仮説のまま据え置かれるのではないかと思う。 もちろん全てが虚構というわけではなく、天皇の意志がアメリカのジャパンロビーを通じて、ワシントンに伝えられていたということは間違いのない事実である。ただ、吉田・外務省がすすめてきた交渉を完全に「バイパス」するほどの効力を持っていたのかは疑問符がつくところだろう。
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