考える人 の商品レビュー
絶版となり手にいれに…
絶版となり手にいれにくいこの本を文庫OFFさんにて入手。まずは感謝。著者比較的初期の作であるが、亡くなる直前まで繰り返し述べていた真実が、形を変えてここにもあったのに納得。哲学、という文字、思い込みから離れ、考えることをしてみたい、と41才の時”41歳の哲学”を読んで感じて以来、...
絶版となり手にいれにくいこの本を文庫OFFさんにて入手。まずは感謝。著者比較的初期の作であるが、亡くなる直前まで繰り返し述べていた真実が、形を変えてここにもあったのに納得。哲学、という文字、思い込みから離れ、考えることをしてみたい、と41才の時”41歳の哲学”を読んで感じて以来、約1年ちょっとか。あまりにも作者のことを知るのが遅すぎたと悔やまれる。せめて著作を味読しつくそう、というのが、現在の結構重要な人生の目的だったりする。
文庫OFF
過去の哲学者たちの議論を自由に読みなおし、哲学の精神そのものを賦活しようとする試みがなされている本です。 まずとりあげられるのはヘーゲルです。著者は唯物論者や分析哲学者たちのヘーゲル批判をしりぞけて、ヘーゲル哲学の核心にある「絶対精神の自己認識」を、「ある考えが「わかる」のは、...
過去の哲学者たちの議論を自由に読みなおし、哲学の精神そのものを賦活しようとする試みがなされている本です。 まずとりあげられるのはヘーゲルです。著者は唯物論者や分析哲学者たちのヘーゲル批判をしりぞけて、ヘーゲル哲学の核心にある「絶対精神の自己認識」を、「ある考えが「わかる」のは、ちっぽけなこの私の能力などでは断じてない。「わかる」とは、考えについての考え自身の気付きである」とまとめています。 さらに著者は、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった古代の哲学者たちの精神に立ち返り、現代にいたるまでの哲学史のなかから何人かの哲学者たちをピックアップして、哲学研究の厚い雲におおわれている彼らの思想の根本にあるはずの、哲学の精神そのものをとり返そうと努めています。 アウグスティヌスとトマス、デカルト、カント、ニーチェなどを経て現代にまで、本書でとりあげられている哲学者たちは幅広いのですが、基本的には著者の考えにそった解釈がなされているので、めざすところはおなじだといってよいでしょう。これまで著者の本に触れたことのある読者は、著者が過去の偉大な哲学者たちとわたりあうすがたを本書の議論のうちに見ることができるのではないかと思います。
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p28 〜自己紹介をして下さい〜と言われた時の、腹立たしいような当惑〜 p29 #有=空に近いようでやや異なるか。 p34 それで私は、〜禅の方法を愛している。 #なるほど。 p69 「名付け」が、「意味」を、固定する p82 人間が言葉を語っているのではない。言葉が存在を語って...
p28 〜自己紹介をして下さい〜と言われた時の、腹立たしいような当惑〜 p29 #有=空に近いようでやや異なるか。 p34 それで私は、〜禅の方法を愛している。 #なるほど。 p69 「名付け」が、「意味」を、固定する p82 人間が言葉を語っているのではない。言葉が存在を語っているのだ。 p88 〜もはや何を「神」と呼んでも大差ない〜言葉がそこから出来し、かつまたそこへと回帰する〜 #仏道もとより豊倹より跳出? p169 〜「私」は私がそれについて思惟している神である〜。西洋の知性は〜滅多にこの境地に達しない。禅仏教などは、最初から最後までそのことしか言ってない(もしくは断じてそれを言わない)〜。 p177 〜私たちがあの原理を信じているのは、たえずそれを確証するかにみえる無限の経験の印象をうけているからである。 p322 因果律は帰納によって習慣になった信念〜
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『14歳からの哲学』などという著作や、「口伝西洋哲学史」と副題にあるのに惹かれて(騙されて?)購入したのだろうと思われるが、それらの印象とはまったく違って、ひどくつまらない本であった。 カバーに「学術用語によらない日本語で、永遠に発生状態にある哲学の姿を損なうことなく語ろうとする...
『14歳からの哲学』などという著作や、「口伝西洋哲学史」と副題にあるのに惹かれて(騙されて?)購入したのだろうと思われるが、それらの印象とはまったく違って、ひどくつまらない本であった。 カバーに「学術用語によらない日本語で、永遠に発生状態にある哲学の姿を損なうことなく語ろうとする試み」とあるが、そんなことは微塵も感じられない内容で、これはたぶん著者が取り上げている哲学者たちの思想をほとんど理解できていないところから来ているのであろう。
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世界の変人、哲学者のことばを借りて、池田某というこれまた強烈な変人が、「考え」にその身体を貸す。 哲学は学ぶのではない。するのだ。専門書や解説書をひも解いたところで、哲学はできない。自分のことばで言葉と向き合い、考えるとき、必ずわかる。語りえないものを語ろうとする情熱や苦労、わか...
世界の変人、哲学者のことばを借りて、池田某というこれまた強烈な変人が、「考え」にその身体を貸す。 哲学は学ぶのではない。するのだ。専門書や解説書をひも解いたところで、哲学はできない。自分のことばで言葉と向き合い、考えるとき、必ずわかる。語りえないものを語ろうとする情熱や苦労、わかってしまった驚きや恐怖が手に取るように伝わってくる。 不思議だ。こうも考えていることが同じだというのに、なぜ、違ったことばで語られるのか。ヴィドゲンシュタインのことばを借りて池田某が語ろうとするが、そこには明らかな無理と苦労がある。なぜ、彼のことばであって、彼女のことばではないのか。なぜ違うことばなのに同じことについて考えることができるのか。 Aであると言う時、なぜAでなければならなかったのか。なぜそれがAだと知っているのか。考えられるのに語れないことばの始原。絶対矛盾的自己同一…。 それに気づいたギリシアの先人たち、ヘーゲル。その深淵を覗き込んでしまったために戻れなくなったニーチェにヒューム。翻って道徳を説くカントにベルグソン、レヴィナス。それでも書こうとしたプラトン。地道な意味づけから隙間を埋めようとしたアリストテレス。外堀から埋めていったヴィトゲンシュタイン。とりあえずそういうことにしておこうと「信じた」キリスト教哲学にロック。 あぁ、真理は万人にひらかれているというのに、なぜ真理を万人が求めないのか。わからないとなぜ言えてしまうのか。物自体、神…ことばの絶える刹那―喝!問うのではない、問いそのものになれ!乾いた小気味のよく突き刺さる禅のことばよ。 最後に斉藤某という人がことばを寄せている。池田某の所業について「遊び」だという。だが、それならどうしてこうも池田某はわからせようと先人のことばを借りたのか。「書く」ということは「慰み」なのだ。「遊び」ではない。池田某ならこう言う。「遊びだったらもっと楽なのにねぇ」
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日本の哲学研究者による西洋哲学史の解説書・・・なんてことを書くと著者の池田先生に目ん玉飛び出るほどに叱られたに違いない。哲学関係とくに哲学史について書かれた本を手にとればだいたい、ソクラテスから始まってプラトン、アリストテレス、そんでキリスト教哲学、デカルトいってヘーゲル、カン...
日本の哲学研究者による西洋哲学史の解説書・・・なんてことを書くと著者の池田先生に目ん玉飛び出るほどに叱られたに違いない。哲学関係とくに哲学史について書かれた本を手にとればだいたい、ソクラテスから始まってプラトン、アリストテレス、そんでキリスト教哲学、デカルトいってヘーゲル、カント、ニーチェ。マルクスとかフッサールが出てきてフーコーとかデリダとか・・・そんで訳わかんなくなって・・・。本書もそれに近い体系付けがなされているのであるが、軽快な文体とご自身の体験や世の中への不満を交えた論の進め方は読者を容赦なく引き込む。哲学史全体を網羅しつつ、ここまで興味深く読み込める哲学解説本といえば他には白取春彦先生くらいか。さらに歴代の著名な哲学者を絡めながらスカッとする世間批判をかませるのは他には中島義道先生くらいか。女性ならではの視点もさりげなく盛り込んでいるのも抜け目ない。ご病気のため年齢若くして亡くなられてしまったのが残念だが、老若男女すべて含めて日本、いや世界屈指の哲学研究者を超越した哲学者あるいは思想家だと思う。
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著者が考え、それをまとめた西洋哲学史。 たぶん、賛否両論というより好き嫌いがハッキリ分かれる本だと思います。 私は楽しく読めました。普通の哲学解説書を読むよりは、これを読んだ方が面白いと思います。
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