燃えあがる緑の木(第3部) の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
半年かかった燃え上がる緑の木3部作 今までにない読後感 何を信じようとしているのかをずっと追いながらきたが、最後ギー兄さんは一滴の水が地面にしみとおるように、それぞれ自分ひとりの場所で「救い主」と繋がるよう祈るべきであると強いメッセージを残してくれた ギー兄さんの信じるものが光輝いていたからこそ、最後1人で誰も巻き添えにせず襲撃にあった のかもしれない 衝撃的な最後だった サッチャンと 光輝く繭のようにこの先もいてほしい 私も両極の間を揺れ動いている 時間をかけて己の道を進みたい 孤独ではあるが、この本は教会のような役割を担ってくれるはず そんな素晴らしい出会いとなった 感謝
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カテゴリ:図書館企画展示 2020年度第3回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第2弾! 本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。 川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。 展示中の図...
カテゴリ:図書館企画展示 2020年度第3回図書館企画展示 「大学生に読んでほしい本」 第2弾! 本学教員から本学学生の皆さんに「ぜひ学生時代に読んでほしい!」という図書の推薦に係る展示です。 川津誠教授(日本語日本文学科)からのおすすめ図書を展示しています。 展示中の図書は借りることができますので、どうぞお早めにご来館ください。
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大江健三郎 「 燃えあがる緑の木 」 3部 大いなる日に 土地の伝承から始まった宗教集団が、個の信仰に分裂し、魂として土地に帰還する物語 神に帰依する信仰でなく、死者と共に生き、人間と集団をつなぐ信仰を対象としている。伝承、詩、文学など読み継がれてきた言葉が人間と人間、人間と...
大江健三郎 「 燃えあがる緑の木 」 3部 大いなる日に 土地の伝承から始まった宗教集団が、個の信仰に分裂し、魂として土地に帰還する物語 神に帰依する信仰でなく、死者と共に生き、人間と集団をつなぐ信仰を対象としている。伝承、詩、文学など読み継がれてきた言葉が人間と人間、人間と集団をつなげている。 集団化によって起きる問題に対して、弱い人間、障害のある人間が 暗闇の中のヒカリになっている。両性具有や燃えあがる緑の木(露が滴りながら燃える木)などの両義的なモチーフは、弱い人間と強い人間の共生や集団維持の象徴として用いている 救い主の自己犠牲による死は必要だろうか。キリストの復活を想起させることが、神に帰依する信仰との類似性を強調しているようにも感じた
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新興宗教が最大まで膨張した結果、そこから萎んでいく過程を描いた3冊目。 前半は物語の語り手である両性具有のサッチャンが記録者としての客観的立場ではなくなっている。 自分が特別な存在だと思っていたのに、それが裏切られた結果、存在価値を追い求めて、ひたすら自暴自棄に生きていく姿が読...
新興宗教が最大まで膨張した結果、そこから萎んでいく過程を描いた3冊目。 前半は物語の語り手である両性具有のサッチャンが記録者としての客観的立場ではなくなっている。 自分が特別な存在だと思っていたのに、それが裏切られた結果、存在価値を追い求めて、ひたすら自暴自棄に生きていく姿が読んでいて痛々しかった。その中でギー兄さんが両膝を潰されてしまう事件が発生。ますます「救い主」として神格化は進み、組織が大きくなる一方で、教団間での軋轢や教団の対外的なポジションの難しさなど課題が山積していく。それらに対する各自の所感、対処方法がドラマになっていて、お決まりの過激派と穏健派の覇権争いがオモシロかった。 ギー兄さんは特に自分の意志とは関係なく教会の中心に据えられて、皆の崇拝の対象となる人生を余儀なくされる。自分のコントロールが効かないまま流されていくしかない人生は虚しいものなのかもしれない。喜んで世襲に乗っかる人もたくさんいるけれど、たとえば天皇制は?という疑問も沸く。大きな意思を大事にしすぎてもしょうがないという著者の思いを感じた。 原発が1つのテーマとして大きくフィーチャー、当時から明確にNOを示していて、311以降の今読むと小説とはいえ大江健三郎の言葉としてグサグサ刺さる。今生きている我々は次の世代に渡すバトンをあくまで持っているだけ、と言われると環境問題などのタイムスケールの大きいことも身近に考えられる気がする。先ほどの大きな意思がここでは重要視されている。特定の対象を偶像崇拝せずに世界全体の未来を考えて行動することを信仰と呼ぶのなら、信仰することも悪くないのかもしれない。 あとがきにも書かれているとおり、身もふたもない言い方すれば本作は新興宗教の栄枯盛衰物語だけれどそんな矮小化されたものではない。仏教ベース/ほぼ無宗教に日本において祈ることの意味がどこにあるのか、そもそも何に対して祈るのか?を問うてくる小説。最後に本読みとして刺さったパンチラインを引用しておく。 本に出会うことの幸不幸ということを話しておきたいんだ。運と不運といった方がさらに正しいかもしれない。本にジャストミートするかたちで出会うことは、読む当人がなしとげる仕業というほかないんだね。選び方もあるし、時期もある。たまたま貰った本にジャストミートすることもあるし、自分が買って来た本で書棚にしまっておいたのが、ある日、ということもある。
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3部作の完結編を読了。小説を読み終わって、これほどの感動に身体が震えたのは実にいつ以来だろう。本編の主人公、ギー兄さんは自分自身を一貫して「繋ぐ者」と自覚していた。すなわち、ヨハネの果たした役割である。しかし、その最後はあたかもイエスのごときものであった。終章はこうなるしかないと...
3部作の完結編を読了。小説を読み終わって、これほどの感動に身体が震えたのは実にいつ以来だろう。本編の主人公、ギー兄さんは自分自身を一貫して「繋ぐ者」と自覚していた。すなわち、ヨハネの果たした役割である。しかし、その最後はあたかもイエスのごときものであった。終章はこうなるしかないという終わり方だが、それもまた予言が実現したかのごとくである。物語の全体もまた、サッチャンによって語られたいわば福音書としての体裁を持っていた。すなわち、何度も何読み返されることによって、常に新たな意味が付与される物語がこれなのだ。
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やっぱりこうなるか、という感じだったけど、これで集大成っていうのは何か違う。彼が書き続けてくれてよかった。もっとも生きている限り彼は書かずには生きられない人なのだろうけれど。
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もうこれ、たいへんだー。 大江健三郎さんは本当に妥協しない人ですね。 信仰を背負う人を真面目に書くって、もうとんでもなく疲れるはずなのに… 新・ギーおにいが現代のキリストでありブッダであって、でも宗教=インチキの図式も人々の中にある。 宗教や奇跡や祈りなんて曖昧なもの、今時力を...
もうこれ、たいへんだー。 大江健三郎さんは本当に妥協しない人ですね。 信仰を背負う人を真面目に書くって、もうとんでもなく疲れるはずなのに… 新・ギーおにいが現代のキリストでありブッダであって、でも宗教=インチキの図式も人々の中にある。 宗教や奇跡や祈りなんて曖昧なもの、今時力を持たないんですよね。 原発の方が余程信頼されてしまう。 そういう部分を物語に都合よく誤魔化したりしないで、新・ギーおにいの葛藤をちゃんと言語化して、投石で殺してしまう。 あまりに真っ当過ぎてハラハラ感がなかったのは残念ですが、もうこういう話が書ける作家なんてほとんどいないんだろうなぁ。 12.06.25
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それぞれがそれぞれの場所で存在しない何かを信じて『集中』する。でもその強さはどこからやってくるのだろうと思う。たくさんの人と一緒に目に見えるものを信じた方がずっと楽だから。でもボクはいやだけど。
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