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蕁麻の家 三部作 の商品レビュー

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2023/01/23
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自らのための備忘録  もし十代の頃に読んでいたら、この本は私の人生を変えたことでしょう。この歳になって読んでも、私の「生涯ベスト10」に入る一冊となりました。  本書『蕁麻の家 三部作』は、第一部「蕁麻の家」(1976年発表)、第二部「閉ざされた庭」(1983年発表)、第三部「輪廻の暦」(1996年発表)、「歳月——父・朔太郎への手紙」「萩原葉子年譜」(いずれも1998年本書出版時書き下ろし)から構成されています。圧倒的なのは、なんといっても第一部「蕁麻の家」です。手元に図書館で借りてきた新潮文庫の『蕁麻の家』があり、それには萩原葉子自身による 「『蕁麻の家』あとさき」が収録されていて、そこには次のように書かれています。  「これだけは死んでも書けない」と、考えていた小説のモチーフがあった。それが、次第に「これだけは、書かなくては死ねない」と、考えるようになった。(中略)  不思議なことに書いたあとの気持は思いもよらない晴れやかさであった。「懺悔」を終ったあとのさっぱりした感じなのだ。果たして親類達から「家の恥を晒した」と、苦情が来たが、書き終わったあとは弱者と強者が入れ替ったのを覚えた。  「壮絶」といって良い萩原葉子の半生が描かれた『蕁麻の家』は、1959年39歳で「父・萩原朔太郎」、1966年46歳で『天上の花—三好達治抄—』を発表した著者が、1976年56歳の時に発表した作品です。  「天才詩人・萩原朔太郎」は、天才であるが故なのか、生活者としてはまったくの無能力者であり、あの大きな眼はただの節穴であったことがよくわかります。そのような父と、娘二人を置き去りにして若い大学生と逃げてしまった母を両親に持ち、その母の不注意によって高熱による知能障害となった妹と共に、祖母と叔父・叔母らによって執拗な苛めを受けて育つ著者が、胸の中の一番重く暗黒の部分を、汚辱に満ちた過去の傷痕を抉り出したのがこの作品です。行間から著者の慟哭が聴こえてきます。  三部作全体を通じて、第一部では祖母、叔父、叔母の壮絶な仕打ち、第二部では心を通わせることのない夫との結婚生活、第三部では、再会し引き取った我儘な母親が老いて痴呆症となり、知能障害の妹との修羅場の日々が描き出されていきます。  私自身の生い立ちに重ね合わせて読んでいて特に苦しかったのは、まだ学生だった主人公が制服一枚しか洋服を買ってもらえず着たきり雀で、洗濯することも着替えることもできなかったこと、二十五年ぶりに別れた母親と再会した時に、もしも娘が貧乏でお金を借りにでも来たのであれば、母は駅で娘を追い返す段取りだとのちに知ったこと、娘の著者は逆に夫の反対を押し切ってまで母親が貧乏だったら連れて帰ろうと決めていました。そしてもう一つは『蕁麻の家』が出版された時、せめて娘時代の自分の悲しい境遇を読んでもらいたいと一番先にサインして母親に贈ったのに、その本が母親のブリキのオマルの下敷きにされていたということでした。  それでもダンスという天からの贈り物に出逢い、「書く」という使命を見つけ、第一部の「岡」や、第二部の「夫」との再会が果たされ、少しずつ健康を取り戻し、生きる意欲が漲っていくのでした。  最後の「歳月——父・朔太郎への手紙」には、幼き日を振り返り「虫ケラ以下、居候、母なし子、奴(やっこ)と呼ばれました。奴とは最低の蔑み言葉でした」と書かれていますが(p.483)、ここを読んだ時、唐突ですが、国分拓著『ヤマノミ』に出てくる「ヤプ」という言葉が思い浮かびました。これは異物としていかに扱ってもよいという、蔑みと敵意が込められている言葉なのです。  それでも、この「歳月」では、幼く若い主人公にかけてやりたいと思っていた言葉の数々が、作者その人の言葉として投げかけられるのを読み、年を取るということはあながち悪いことではなく、むしろ有り難いことなのだと感じました。  手元に置いておきたい一冊です。

Posted byブクログ