1,800円以上の注文で送料無料

ききくらべよう日本の方言 の商品レビュー

5

1件のお客様レビュー

  1. 5つ

    1

  2. 4つ

    0

  3. 3つ

    0

  4. 2つ

    0

  5. 1つ

    0

レビューを投稿

2017/03/27

日本って、西と東で全く異文化だよね。もっと細かく分けられそうだけど。私は基本的に東や北の文化に親しみを感じやすいんだわ。 聞き手を意識しながら話す「語り」と、日常の自然な会話は発音から全く違ってくる。 人に呼びかける時に昔使っていた「もし」は「申し」が短くなったもの。地方によ...

日本って、西と東で全く異文化だよね。もっと細かく分けられそうだけど。私は基本的に東や北の文化に親しみを感じやすいんだわ。 聞き手を意識しながら話す「語り」と、日常の自然な会話は発音から全く違ってくる。 人に呼びかける時に昔使っていた「もし」は「申し」が短くなったもの。地方によっては、語尾に「もし」を付けることで「~だね」という意味になる。そしてその「もし」が訛って、「ムシ」になっていることもある。 付属のCDを聞きながら本を読んでいて、今更ながら気がついたことがある。共通語というものは近代に入ってから人工的に作られたものなのね。知識としては知ってたけど、それはどういうことかってとこが、あんまりピンと来てなかっただけか。 日本を近代化させるためには、北から南まですべての人が同じ言葉で意思疎通をする必要があった。そのため明治以降は国策として全国の公の場では共通語が使われるようになった。学校では、方言を使うことを禁止され、方言を使った子どもは罰を与えられることもあった。 母から受け継いだ言葉を、6歳になって学校に入ると否定しなくちゃならなくなる。それってそれまでに培った人格を否定されるようなものじゃないか?大げさかしら。地方の人は東京を憧れると同時に、憎んでいるように思える時もある。 共通語には歴史がない。今だってせいぜい150年だ。生活や時間や身体を通して培われた言葉ではないから、生活や時間や身体を通して培われてきた方言にはどうしたって負ける。だから共通語を方言に負けないように、日本の隅々まで短期間で浸透させるには、国レベルで方言を貶める必要があったのか? 昔は文語と口語が別々で、口語だと言葉の通じない地域でも、文語なら問題なくやりとりができたので、特に問題がなかった。 その当時は、地理的に離れているところはそれほど関わりもなかっただろうし。あんまりよく知らんけど。でも東北の伊達政宗と九州の細川忠興は友だちだったっけ。国の言葉が通じない人同士は、歌舞伎の言葉でやりとりをしていたと聞いたことがあるけど、それは何時代?江戸? 文語と口語の定義もよくわからんな。 日本語は一文字一文字をきっちり発音する。そういうものだと思っていたけれど、それは私が共通語しか知らないからだ。方言はその枠に収まらない。 棒読みで会話っぽくないトラックもあったけど、録音に慣れていなくてぎこちなくなっているのか、普段はもう使っていないけど、収録のために台本を書いてなんとなくイントネーションが分かる人に読んでもらったからなのかはよくわからない。 言葉とは、人生そのものを表すんだ。

Posted byブクログ