盗まれた稲妻(上) の商品レビュー
ダニエル・ローレンスオキーフによる『盗まれた稲妻』は、一見すると『パーシー・ジャクソン』シリーズのコンパニオンブックに過ぎない。しかし本書の真価は、古代ギリシャ神話の現代的再解釈を通じて、青年期における自己形成の原型を提示した点にある。 著者は「神話の永続性」という視座から出発す...
ダニエル・ローレンスオキーフによる『盗まれた稲妻』は、一見すると『パーシー・ジャクソン』シリーズのコンパニオンブックに過ぎない。しかし本書の真価は、古代ギリシャ神話の現代的再解釈を通じて、青年期における自己形成の原型を提示した点にある。 著者は「神話の永続性」という視座から出発する。これは、ジョーゼフ・キャンベルが『千の顔を持つ英雄』で示した「単一神話」の構造が、現代の若者文化においていかに再生産されているかを探る試みといえる。特に注目すべきは、DSMやADHDといった現代的文脈と、古代的英雄の特質との接続である。 本書における神話解釈の特徴は以下の三点に集約される: 1. 現代的疎外と神的血統の重なり ・学習障害という現代的疎外感と、半神という存在論的疎外の同一視 ・社会的不適応の再解釈による、英雄的資質への転換 2.空間的象徴性の現代化 ・オリュンポスのエンパイアステートビル化に見る、聖性の現代的配置 ・冥界入りの地下鉄による表象など、現代都市空間の神話的読み替え 3.神話的時間と現代の交差 ・スマートフォン時代における神託の形態 ・SNSと神々のコミュニケーション様式の並置 特筆すべきは、著者による半神の存在論的解釈だ。現代社会における「異質性」の体験を、神的血統という形而上学的文脈に置き換えることで、思春期特有の疎外感に新たな意味を付与する。これは、ミルチャ・エリアーデが指摘した「イニシエーション」の現代的再構築と見ることができる。 さらに興味深いのは、古代神話のトリックスター的要素の現代的展開である。例えば、ヘルメスの子どもたちに見られる「問題児」的性質は、システムに対する創造的破壊の象徴として機能する。これは、ポール・ラディンが『トリックスター』で分析した文化英雄の両義性とも共鳴する。 本書の学術的意義は、現代YA文学における神話的要素を、単なる物語の装飾としてではなく、現代人の精神形成における本質的契機として位置づけた点にある。従来のYA文学研究が、その社会学的・教育学的側面に注目してきたのに対し、本書は神話学的アプローチにより、より深層の構造を明らかにする。 ただし本書の議論にも一定の限界はある。特に、古代神話における神々の両義的性格が、現代的解釈においてやや単純化されている点は指摘せねばならない。また、現代資本主義社会における「英雄」の概念をより詳細に検討する必要もあるだろう。 それでもなお、本書は現代神話研究に重要な示唆を与える。特に、思春期における自己形成と神話的体験の関係を研究する上で、基礎的な視座を提供するものといえよう。神話的想像力が現代社会においていかに機能しうるか、その可能性の一端を本書は示している。
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