チキン・サンデー の商品レビュー
濡れ衣をきちんと晴らして誤解も解いて、とてもまっすぐな気持ちのいいお話。 あんなに偏屈なおじさんまでにこにこににしちゃうしね! ところどころ実写の写真?が小さく紛れ込んでいて、母はちょっと気になったよ。
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絵の中にある「ウクライナのたまご」という文字にハッとした。名もなき市井の人々を描きながら歴史の流れまで感じさせる。
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人が幸福を感じる最も有効な方法は、誰かに優しくすることだ、と聞いたことがある。 見返りを期待せず、洗濯したての木綿みたいな愛情を、大好きな人たちと交わしながら生きていけたら最高だな。 読み終えると、誰かに優しくしたくなります。 イースターの頃のおはなし。
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家族ってどんな存在ですか?人から勘違いをされた時、どうしますか?人を信じる事の大切さ、あきらめず自分を信じてもらうための勇気ある行動。家族の愛と思いの深さ。 考えさせられる作品です。
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心の深いところからあたたかいものがこみあげてくる、読後感。真実の愛、信じること、許すこと。そういう一番大切なことを、三人の子どもたちが体験した事件を通してみごとに表現されている。これは、作者パトリシア・ポラッコさんの体験をもとにした物語。この話の背景をきちんと理解するには、多国籍...
心の深いところからあたたかいものがこみあげてくる、読後感。真実の愛、信じること、許すこと。そういう一番大切なことを、三人の子どもたちが体験した事件を通してみごとに表現されている。これは、作者パトリシア・ポラッコさんの体験をもとにした物語。この話の背景をきちんと理解するには、多国籍多民族国家のアメリカや世界のこともわかっていないといけないだろうが、そうでなくても、「うそをついてはいけない」というおばあちゃんの教えとまっすぐな子どもたちの気持ちがストレートに届く。 こういう話を繰り返して聞いてもらうと、子どもはどんどんいい子になっていくとおもうな。美しいイースターエッグが出てきます。春にむけていかがでしょう。高学年以上、中・高生にもよんでほしい。
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同じく「ありがとう、フォルカーせんせい」の著書。 同書と同じく名作だと思う。間違いなく★5つ。 この人の画風、誰かに似ていると思ったら、そう、かのノーマンロックウェルが浮かんだ。彼と同じく、日常の生活、表情の描き方のうまさに心底惚れ込んでしまう。 お話しも、涙無くしては...
同じく「ありがとう、フォルカーせんせい」の著書。 同書と同じく名作だと思う。間違いなく★5つ。 この人の画風、誰かに似ていると思ったら、そう、かのノーマンロックウェルが浮かんだ。彼と同じく、日常の生活、表情の描き方のうまさに心底惚れ込んでしまう。 お話しも、涙無くしては読めない。 正直に、まっすぐに生きる人たちの物語。 誤解が解け、ささやかなプレゼントに結実していく様は、とてもハートウォーミングなのです。
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パトリシア・ポラッコは、自身の経験したこと、家族との思い出、 先祖代々から聞いた話などを作品にしてきた。 代々伝わってきた物語や伝統を大切にし、 年長者への尊敬の気持ちを表わしている作品が多いように思う。 『ありがとう、フォルカーせんせい』では、 字を読むことが困難だったトリ...
パトリシア・ポラッコは、自身の経験したこと、家族との思い出、 先祖代々から聞いた話などを作品にしてきた。 代々伝わってきた物語や伝統を大切にし、 年長者への尊敬の気持ちを表わしている作品が多いように思う。 『ありがとう、フォルカーせんせい』では、 字を読むことが困難だったトリシャ(パトリシア・ポラッコ自身)が フォルカーせんせいに教えてもらって、読めるようになる。 『彼の手は語りつぐ』は、シェルダン・ラッセル・カーティスが 南北戦争の時にピンクス・エイリーに助けられた経験を娘に語り、 代々の子供たちに語りつぎ、自分のところにまで伝わってきた物語を書いたものである。 パトリシアは、ミシガン州ランシングで、ロシア系アメリカ人の家族に生まれ、 『ありがとう、フォルカーせんせい』でも描かれているように、 途中でカリフォルニア州オークランドに引っ越している。 パトリシアには、ロシア出身の祖母がおり、 彼女はその祖母をバブーシュカと呼んでいた。 『かみなりケーキ』は、ミシガン州で農場に住んでいたパーブシュカとの思い出を描いている。 『チキン・サンデー』は、家族で引っ越した先のカリフォルニアで、 家族同然に育ったスチュワートとウィンストンとそのおばあちゃんユーラとの物語である。 本書も、『かみなりケーキ』と同じく一人称で語られる。 スチュワートとウィンストンは、わたしの家のそばに住んでいて、 ある夏、ふたりの家の裏庭で、「きょうだいになる誓いの儀式」をした。 わたしの本当のおばあちゃんは、2年前の夏に亡くなってしまったけれど、 スチュワートとウィンストンときょうだいになったので、 わたしは、彼らのおばあちゃんのユーラ・メー・ウィーカーさんを本当のおばあちゃん同然に思っている。 わたしの家の宗派とふたりの家の宗派は異なるけれど、 わたしのおかあさんは、スチュワートたちと一緒の教会に行かせてくれた。 わたしはロシア系なので白人だが、スチュワート、ウィンストン、ユーラは黒人だ。 『彼の手は語りつぐ』でも、黒人奴隷のことは語られているが、 彼女の一族、一家は人種的なことに、分け隔てない感情を持ってきた人なのだと思う。 黒人と教会といえば、ゴスペルがイメージされるが、 聖歌隊以前に、普通に歌がそこにあったのだと思う。 『野のユリ』という作品で、 東欧からやってきた修道女たちと黒人のホーマーが歌うシーンがあった。 ホーマーの歌に修道女達が掛け合いをしていくのだが、 掛け合いはアーメンコーラスのような感じ。 ホーマー曰く、その歌は、教会に行くときに 黒人が自然と口ずさむような歌なんだそうだ。 ゴスペルの原点は、敬虔な宗教音楽や古典音楽のような きっちりとした譜面があるようなところからではなくて、 こういった市井の黒人たちが教会に行くときに口ずさんでいた歌なんだろうと思う。 ユーラおばあちゃんも歌を歌った。 わたしはユーラおばあちゃんの歌が好きだった。 ユーラおばあちゃんは、「雷がゆるやかにとどろくような、雨がやさしく降るような声で」歌うのだった。 教会へは行きも帰りも歩いた。 ユーラおばあちゃんは、コジンスキーさんのぼうし屋までくると必ず立ち止まって ガラス越しに素敵な帽子を眺めてため息をつく。 そしてまた歩き出す。 ユーラおばあちゃんは、いつも夕飯にフライド・チキンを作ってくれたので、 こうやって一緒に過ごす日曜日のことを、わたしたちは「チキン・サンデー」と呼んでいた。 おばあちゃんは、コジンスキーさんの店のイースター用の帽子が特に気に入っている。 3人はすでにそれに気づいていて、 「世界中のなによりも、あのぼうしをおばあちゃんにあげたいなあ」と思うのだった。 3人は「ねがいごとの木」のうろからかんと取り出し、 ためていたお金を数えるのだが、ちっとも足りない。 コジンスキーさんに頼んで仕事をさせてもらおうとお店に寄るが、 ちょうど大きな男の子たちが帽子屋の裏口に卵を投げつけていて、 コジンスキーさんがドアと開けたところにいた3人は卵を投げた犯人に間違われてしまう。 やっていないという3人をおばあちゃんは信じてくれた。 だが、コジンスキーさんには誤解されたまま。 3人は誤解を解くために作戦を練るのだった。 わたしのロシア系伝統が彼らを助けることとなった。 さて、それは? 絵としてもとても美しいので、ぜひ見て確かめていただきたい。 そして、作戦を決行して一生懸命がんばった3人にはさらなるごほうびが! 教会で歌うのは黒人的伝統、3人が作ったものはロシアの伝統を受けたもの。 時代が変わっていく中でも、残っていくもの、受け継がれていくものは確かにある。
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烏兎の庭 第三部 絵本 8.5.06 http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/bunsho/sunday.html
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