おカルトお毒味定食 の商品レビュー
笙野頼子と松浦理英子の四回にわたっておこなわれた対談をまとめた本です。 松浦は作品を通じてくり返し「性」というテーマをとりあげつづけてきた小説家ですが、その彼女が「笙野さんは性のことを直接はお書きにならないけれども、私は読んでいて、すごく性を感じる」と述べていることに見られるよ...
笙野頼子と松浦理英子の四回にわたっておこなわれた対談をまとめた本です。 松浦は作品を通じてくり返し「性」というテーマをとりあげつづけてきた小説家ですが、その彼女が「笙野さんは性のことを直接はお書きにならないけれども、私は読んでいて、すごく性を感じる」と述べていることに見られるように、「性」という切り口から両者が文学的な実践によって果たそうとしてきたものがいったいなんだったのかということが語られています。笙野は、「男が言葉を支配している」という現状認識に立ち、「それを歪まない言葉に組み換える」ことを図ったと述べています。「性」を中心に現実の社会と文学という制度の両方にまたがって存在する、人びとを規定の位置に囲い込もうとする仕組みを、文学的な実践を通じて解体するという意図は、両者の作品においてともに認められるように思います。 その一方で、「別に男性に反省してもらおうと思って書いたんじゃなくて、からくりを知りたい人が見れば、物語がこういうふうになっている、ビートがこう歪んでいるという抽象的なつくりのものだから、「からくりはこうなっている」ということをおもちゃを分解するみたいにしてやっている」と笙野は明かしつつ、「だから、その面ではごく一部の人にしろ男性もおもしろがって読むんじゃないんですか。それと女性は、辛くて怒っちゃう人というのがきっといるだろうと思う」と語っていることは、非常に正確な認識であるとともに、こうした問題のむずかしさを示しているように思います。
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「何かがわかりたくて小説を読むわけじゃない」に深く肯きました。わからないなりに無理にとらえてくる作品。これは小説に限らず音楽も映像作品もそうなのだけれど、改めてこれで良かったんだ、と思いました。 松浦理英子さんは読んだことがあるけれど笙野頼子さんは未読です。でも読みたくなりました...
「何かがわかりたくて小説を読むわけじゃない」に深く肯きました。わからないなりに無理にとらえてくる作品。これは小説に限らず音楽も映像作品もそうなのだけれど、改めてこれで良かったんだ、と思いました。 松浦理英子さんは読んだことがあるけれど笙野頼子さんは未読です。でも読みたくなりました、かなり。 おふたりともクレバーで面白かったです。ひとつひとつ訂正していって、でも〜と被せてまたそれを訂正して…のやり取りにヒヤリとするところも正直あったのですが、それでもおふたりがそれぞれ相手の事を好ましく興味深い人だなと思ってるのが覗えて素敵な対談でした。 多和田葉子さんは面白いよね、と松浦さんも笙野さんも仰ってる。面白いです。 フェミニズムも、ここで言及されてる考え方なら素直に受け入れられます。フェミニズムは元々悪くないのだけれどTwitter等で声高に主張し攻撃してくる方々のソレが()
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松浦理英子の本は少々読んでいるが、笙野頼子はとんと知らなかったものだから、始めは何がなんだか要領を得ない会話だった。 笙野頼子って何じゃぃ、これじゃ松浦理英子をいじめてないか!ってな具合。びしばし質問する笙野のいじわるっぽいのに、おっとりと真面目に応えている松浦さんの可愛い顔(...
松浦理英子の本は少々読んでいるが、笙野頼子はとんと知らなかったものだから、始めは何がなんだか要領を得ない会話だった。 笙野頼子って何じゃぃ、これじゃ松浦理英子をいじめてないか!ってな具合。びしばし質問する笙野のいじわるっぽいのに、おっとりと真面目に応えている松浦さんの可愛い顔(ほら、本のプロフィールにあったものだから)が浮かんではらはら。 しかし、目次 1.なにもしていない馬鹿女(ナチュラル・ウーマン)の修業時代 2.物言う太鼓(トーキング・ドラム)のように を読み進めるうちにお二人の特徴とかもす雰囲気が好もしくなってくる。 作家松浦理英子と笙野頼子の会話形式の『交友の一例』で、そう松浦理英子は名題したかったそうだが、なんとまあ『おカルトお毒味定食』とは(笑) 九十年代文学シーンをぬりかえたダブル・スーパー作家が、不遇時代や日々の生活、創作の秘密、フェミニズム観などすべてを本音で語りあいながら、つまらぬ世間をけちらして、読む者をふるいたたせるラディカルにして繊細な対話。(BOOK紹介文) さらに 3.ペシミズムと快楽と 4.そして長電話は続く と続くうちにすっかり笙野頼子に興味を持ってしまったわたし。だって打てば響くようなおもしろい会話でイニシアチブは笙野さん、どんどん「女性教カルトチック」(わたしが勝手につけた)と思える方向に進んでいくではないか。 笙野さんの「はきはき」さがいいよねぇ。 一度、食べたらやめられない。 ダブル・スーパー作家の乱れ撃ちジャンキー・トーク。(なんて紹介文も) この語り合いで攻撃的な、さかんにご自分が野獣的だと言ってる笙野さんのお顔、興味津々ネットでさがしました。ありました。むむむ。 ともかくもすっかり笙野頼子にまいり、手に入った『幽界森娘異聞』を読み始めているわたし。 笙野頼子、芥川賞(1994年)作家でもある。まだまだ知らない(好きになるかも)作家がわたしにはある。この本は絶版とのこと。
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笙野頼子と松浦理英子の対談集。 90年代の刊行なので今とは状況が違っている部分も多くあるが、互いの作家性の違いが見えて面白かった。 当時(?)はどちらもフェミニズム的な作家と見られていたようだが、今、そういうことを言う人はいるんだろうか?
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笙野さんと松浦さんの対談集。 自分が本を読みだした頃は、女性作家で言えば笙野頼子、松浦理英子、多和田葉子がBIG3みたいなもんだと思っていた。ただ、当時の私にはいずれもなかなかするする読めるようなものではなくて、苦労しながらも「面白いなあ」と思ったり「なんかわからんけど面白いなあ...
笙野さんと松浦さんの対談集。 自分が本を読みだした頃は、女性作家で言えば笙野頼子、松浦理英子、多和田葉子がBIG3みたいなもんだと思っていた。ただ、当時の私にはいずれもなかなかするする読めるようなものではなくて、苦労しながらも「面白いなあ」と思ったり「なんかわからんけど面白いなあ」と思ったり「なんかわからんなあ」と思ったりの日々だったのである。で、対談となるとやっぱり読みやすくすごくありがたかったのも事実である。なぜか印象に残っているのは学生時代のバレーボールの時の両者のサーブの打ち方の話で、(どっちがどっちか忘れたのだが)上から打つ(ボールを放り投げてはたくようにして打つ)と難しいという話になり、下から腕を振って打てばいいのではみたいな話になって、上から派が「それ思いつかなかった」というところに終わる、ちょっとしたなんでもない会話である(全然上手く説明できない。。) あとは、終わりのほうで笙野さんが松浦さんとの対談の感想を述べているようなところで「いつかはお互いにやっていることが離れていくかもしれない」というような意味のことを言っていたのが印象深かった。お二人ともやはりいろんなものと戦っている作家であり、馴れ合いで活動をするのはよくない、というような強い意志のようなものを一読者としては感じたのであった。
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私を笙野頼子と松浦理英子にはまらせた対談本。 当時は二人ともノリにノっていて、二つの個性のぶつかり合いは痛快そのもの。 どちらかの名前を知っている人は是非読むことをオススメします。
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あの笙野頼子との対談集。 松浦さんの性格が垣間見えて楽しい。 日常生活から文学論まで幅広い内容。
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