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実録 野坂参三 の商品レビュー

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2014/03/14
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<要約>  野坂參三は、英国共産党や米国共産党、ソ連など多くの場で活躍し、戦後日本の共産主義活動の中心的人物であった。  しかし、彼は、後藤新平や次田大三郎といった、内務省関係者と親縁関係にあり、日本警察のスパイであった。さらに言えば、中国共産党、GHQ、ソビエトとの四重スパイであった。  親類の関係するモロゾフ社や興銀、勧銀、警察からの援助を受け、天皇制保護のために働いた。敗戦後の占領時、スターリンが天皇制打倒を主張しなかったのは、野坂の貢献である。 <抜粋> p.14 野坂參三は、戦争犯罪人天皇を処刑し、天皇制を打倒できるチャンスである日本帝国の敗戦時に、天皇制を守ることに尽くしていたのである。野坂參三が天皇制を守るエージェントであった[...]。世界のトップ企業など、国際資本に支持された国際謀略機関の指示によって、戦争犯罪人である天皇は生き残った。その謀略機関の手先の一駒として、野坂參三はモスクワに行ったのである。また、野坂參三はソ連のスパイとして活動することが決められていたのである。 p.16 野坂參三が、日本の天皇制国家機関、アメリカ、ソ連、中国共産党の四重スパイであったことは間違いない。しかし、野坂參三は、日本の天皇支配国家体制を守り抜くために、四重スパイとなって活躍したと考えるのが一番順当である。もちろん、天皇制は、地球レベルで私物化をはかる国際謀略機関によって守られている。野坂參三は、この国際謀略機関のエージェントの一員であったと考えるべきである。 p.36 小野梧弌は、一九四八(昭和二三)年七月七日、六〇歳で死亡するが、野坂參三の「スパイ活動」を手伝い、また、本人自身も中国、そして、日本国内で公安警察[...]と結びついた仕事をしていたと考えるのが順当である。 p.41 第一勧業銀行が野坂參三の謀略活動の資金源に関係していると考えることができる。 p.49 佐野令三は、日本興業銀行と深い関係にあり、[...]小野梧弌と佐野令三の娘の結婚した一九一六(大正五)年当時、野坂參三は慶応義塾大学に在学しながら、「友愛会」の賛助会員になり、「友愛会」本部に入り浸りになっている。この時、すでに、野坂參三は、「左翼」の中に入り込み、「左翼」を調べる「スパイ」になっていたと思われる。 p.102 後藤新平と正力松太郎の間に、「共産主義者」佐野学に関する取り決めがあったと考えられる。つまり、正力松太郎は、共産主義運動を弾圧することに全力を尽くしながら、佐野学を保護することに全力を尽くしていたのである。 pp.137-138 佐野学は、後藤新平の後ろ盾のもとに「共産主義運動」を行なってきた。それは、天皇支配国家体制維持のためであった。その佐野学は後藤新平の死を境に国家権力より国賊「共産主義者」として取り扱われ、逮捕拘留され、無期懲役の判決を受ける運命になる。そうすることにより国家権力は、佐野学が天皇支配国家体制維持のために活躍してきた「スパイ」であることを完全に隠すことができる。すなわち、真面目に純粋に個人の打算を考えず労働者、農民が国家の主人になる社会体制を確立できるものと思って国家権力と戦ってきた真の「共産主義者」は、無期懲役の判決を受けた佐野学が天皇支配国家体制維持のために民衆の背後より弾丸を撃ち込む仕事に従事してきた「スパイ」であるとは考えない。 pp.243-244 次田対三郎は、野坂參三が公安警察のエージェントとして「友愛会」にもぐりこみ、わざわざイギリスに行って「イギリス共産党」に潜り込んだことも、十分に知っていたのである。 p.259 野坂參三の背後には、内務省参事官の次田大三郎がおり、一九二二(大正一一)年に兵庫県神戸水上警察署長より神戸商工会議所書記長になった福本義亮がいる。 p.264 天皇を頂点とする国家権力は、国家権力に対する民衆の生活防衛のための統一戦線を組織することを邪魔するアナーキスト・大杉栄を飼っておくことは、都合のよいことであった。そのために、内務省警保局や後藤新平は大杉栄に金を渡していたのである。その点で、関東大震災後、憲兵分隊長・甘糟(※ママ)正彦大尉らは大杉栄を殺害する必要はなかったのである。

Posted byブクログ