子どもの涙 の商品レビュー
「中村のイヤギ」を見たあとだからか、図書館でぶらぶらしていて、久しぶりにこの文庫本をみつけた。10年以上前、私はこの文庫が出た頃に買って読んでいる。 子どもの頃から、外で遊ぶことよりも、本を読むほうが好きだったという徐少年の読書遍歴をまた読んでみて、これを徐さんは40代の初め...
「中村のイヤギ」を見たあとだからか、図書館でぶらぶらしていて、久しぶりにこの文庫本をみつけた。10年以上前、私はこの文庫が出た頃に買って読んでいる。 子どもの頃から、外で遊ぶことよりも、本を読むほうが好きだったという徐少年の読書遍歴をまた読んでみて、これを徐さんは40代の初めに書かれたのだということに気づいた。これは「ヴィタ・リブラリア」、書物の思い出を手がかりに少年時代を振り返ったもの。 前に読んだときには本の話ばかりに目がいってた気がするが、このたび読みなおして、徐さんが書きとめている母や父の姿、周囲の朝鮮人たちの言動、またそれに対する徐少年の思いが、本の話と同じかそれ以上に印象深く思えた。 中学校へ市電に乗って通うようになった徐さんは、ある日、同じ市電に乗り合わせてきた親戚のハルモニの姿をみつける。 ▼職安でその日の仕事をもらって、どこかの公園にでも清掃か草むしりに行くところだったのだろう。当時は失対事業の日雇い仕事に多くの朝鮮人女性が従事していた。(p.86) 徐さんが中学生の頃というと、1960年代の前半である。そのハルモニが周りの日雇い仲間と朝鮮語で話し始め、乗客の視線がそこに集まるのを感じながら、徐少年は(ハルモニに気づかれて声をかけられたらどうしよう)と、隠れるように後ろの座席に移るのだ。そういう自分を恥じながら、一方で、中学で始まったばかりの英語の授業で「I am a Japanese.」という文章を順に読まされるのを、どうしても読めず、意を決して「ぼくは日本人と違うし…」と言う少年だった。 日本語の読み書きができなかった徐さんの母の姿は、「中村のイヤギ」で語る一世のハルモニのようにも思えた。徐さんの母は、それでも学校からの書類が読めないことを子どもに気どられまいとして、読んだふりさえしていたという。 この本の親本がエッセイスト・クラブ賞を受賞したときの挨拶で徐さんが述べた「言語の檻」の一部が、文庫版のあとがきに引かれている。 ▼…旧宗主国で生をうけた私は、本来なら私の母語であった筈の言葉をあらかじめ奪われ、かつての宗主国語を母語として成長してきたわけです。私は、何を考えようと日本語で考えているのであり、どう表現しようと日本語で表現しているのです。そうだとすれば、私は日本語という「言語の檻」の囚人でなくてなんでしょうか…。その「檻」の中で私は、何とかしてもっと広い場所に出ていきたい。かつて引き離された同胞たちに私の心を伝えたいと身悶えてきたともいえるでしょう。(p.193) 思春期の徐さんが憧れた詩人・石川逸子による文庫版の解説も心に残る。
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幼い頃の読書を通して彼自身が様々な事を感じ、成長していく過程が丁寧に無駄のない文章で書かれている。読書の大切さを説いたり、自身の読書量を誇るのではなく、著者にとって読書がいかに重要且つ自然なことなのかがストレートに伝わってくる。
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