死刑確定中 の商品レビュー
1974年の三菱重工爆破事件で、事件の主犯として死刑判決を受け、確定死刑囚として東京拘置所に拘禁されている大道寺将司さんの本。松下竜一の『狼煙を見よ』を読んだあと、関係者の本でとりあえず近所の図書館にあったのがこれくらいだったので借りてきてみた(他の人の本はいくつかリクエスト中)...
1974年の三菱重工爆破事件で、事件の主犯として死刑判決を受け、確定死刑囚として東京拘置所に拘禁されている大道寺将司さんの本。松下竜一の『狼煙を見よ』を読んだあと、関係者の本でとりあえず近所の図書館にあったのがこれくらいだったので借りてきてみた(他の人の本はいくつかリクエスト中)。 大道寺さんの死刑確定は1987年の3月24日。私が高校2年を終える春である。確定後は一般の人々と面会や文通ができなくなり、大道寺さんが便りを書き、会うことができるのは母親だけになった。その母あての便りを通じた大道寺さんの声を獄外に伝え、友人たちの声を獄内に届けるために、『キタコブシ』という小冊子にそれらは掲載された。この本は、『キタコブシ』に掲載されたものを抜粋して編まれている。 序文にこうある。 ▼人間が生きるということは、生物的に存命するばかりでなく、社会的に生きるということでもあるから、現在の確定死刑囚の処遇は、外界との交通を極度に制限することによって、この「社会的な生」を前もって処刑しているといえる。(p.6) 序文冒頭に「政治犯として戦後初の死刑判決を受け」とあるのを読んで、そうか、大道寺さんたちは政治犯なのか、と思った。 三菱重工爆破事件で、巻き添えの死傷者を多く出してしまった過ちを、大道寺さんは深く悔い、誤りを認めている。東アジア反日武装戦線"狼"は、海外に侵略する企業の活動を具体的に中断させようとして企業爆破をおこなった。爆弾には危険物表示をし、予告電話もかけた。それによって早急な避難態勢がとられるであろうと考えていたが、予告電話は遅すぎ、加えて爆弾の威力も想像以上に大きなものとなり、爆破メンバーたちは、マスコミによって無差別テロ集団のように書きたてられたという。判決は、かれらに「殺意」があったと認定し、殺人罪で死刑に処すると断じた。この殺人罪の成立について、「殺意はなかった」というのが大道寺さんたちの側の主張で、再審請求の争点でもある。 この本の大半は「確定死刑囚の日記」と題された第二章で、1987年の4月から1997年の8月までの日々が収められている。大道寺さんは、40代の終わりをむかえ、その夏は大道寺さんと同世代である永山則夫がついに処刑された8月でもあった。この間は、私にとっては、高校3年の春から、長い学生生活に区切りをつけて初めてフルタイムで職に就いた夏までにあたる。 大道寺さんの「日記」を読んでいると、自分が10代の終わりから20代のあいだに見聞きしたいろいろなこと、とりわけ政治的なうごきを思い出す。 そして、検閲のひどさや、渡されない手紙があったり、時には手紙が届いたかどうかさえ判らないというところに、「社会的な生」をうばおうとする力を感じた。面会も文通も極端に制限され、日々の寝起きでも顔を合わせるのは看守や雑役さんだけで、他の収容者とは決して会わせないようにされている生活。 前に同居人が入院中にベッド上での絶対安静になったとき、しょっちゅう看護師さんや担当医がのぞきに来ていた。同居人はベッド上だけの生活でも平気で機嫌よくすごしていて不思議がられたが、「ベッド上だけが生活空間になると、精神的におかしくなる人も結構あるんです」とその時に聞いた。 もちろん入院しているくらいだから本人が絶好調とはいえないが、病室からは外も見えるし、空調も快適だ。見舞いもあるし検温や配膳もある。それでも参る人がいるというのだから、獄中でのこうした「社会的な生」の遮断は相当にキツいものだろうと思う。 桐山襲さんの「大逆と死刑」のコピーを落手しました、と1988年4月27日付けに出てくる。 「古今東西、皇室の歴史は血の歴史であった。…あらゆる罪から死刑の規定が取り除かれていったとしても、皇帝制度が存在するかぎり、死刑制度もまた在り続けるであろう。だから、死刑を廃止する闘いは、同時に皇帝を廃絶する闘いでもあるはずである」と桐山さんは書いているという。これを読んでみたいと、返すときに図書館でレファを頼んできた。 先日、アルピジェラ展のラウンドテーブルでお話を聞いた現代企画室の太田昌国さんは、大道寺さんの従兄だそうだ。
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