原始絵画(5) の商品レビュー
尊敬する考古学者・佐原真さんの著作を検索していたら、こんな怪本を見つけた。豪華本なので写真に短い解説をつけたぐらいかと思っていたら、案外気合いの入った論文もあって、真面目に紹介します。 旧石器時代から平安時代まで、考古学として発掘された遺物をテーマごとに写真集で解説しようという...
尊敬する考古学者・佐原真さんの著作を検索していたら、こんな怪本を見つけた。豪華本なので写真に短い解説をつけたぐらいかと思っていたら、案外気合いの入った論文もあって、真面目に紹介します。 旧石器時代から平安時代まで、考古学として発掘された遺物をテーマごとに写真集で解説しようという試み。表紙の「顔」は、縄文晩期秋田県白坂の岩偶です。「喜びと悲しみ、愛と憎しみは顔にあらわれます。ドングリとクリ、鹿と猪、魚と貝で生きた何千年も昔の縄文人」とキャンプションがついています。(←何処かで見た様な顔) カラー図版として、他には人、狩、漁りと脱穀、船、盾、ホト、鹿、鳥、魚、カエル、カメと虫、竜、馬、象、家・建物、倉、樹木、古墳の壁画、大きな犬小さな人、と各時代の遺物を紹介しています。 縄文から弥生に変わるにつれ、絵画は立体画から線画に移行します。前二世紀(弥生中期)の東日本には未だ一部立体表現がありました(←縄文色強し)。茨城県女方の顔つき土器は、1遺跡から1-2個見つかります。骨を入れる壺なので、特別な人の骨を納める棺なのでしょうか。 しかし、弥生土器の絵画土器は、100万個の土器があったとすると、300個ほどしか見つかっていないそうです。しかもその半数は、奈良県唐古・鍵遺跡と清水風遺跡からだけなのです(←ビックリ!)。唐古・鍵遺跡が絵の世界の中心だった?弥生の絵画の代表は銅鐸ですが、絵画付きは13%しかありません。 鳥取県稲吉の絵画土器は、稲を運ぶ鳥を迎え入れる儀式を表したのだという見方もあります。 鳥の姿をした巫女の絵が大量にあります。また、胸に鹿の姿をした司祭者の絵もありました。鹿は土地の精霊、鳥は外からやってくる幸せと考えると、その聖婚神話が背景にあると考えられなくもない。と春成秀爾さんは言います。 龍の絵は一世紀に現れると言います。しかも、鏡の紋様から取ったので直ぐに記号化する、と春成さんは言います。 佐原真さん専門は弥生時代だと思っていたのですが、この本では古墳時代や奈良時代の壁画や落書きの分析をしていました。特に、唐招提寺や法隆寺金堂屋根裏出土の絵画を唐の絵師の技法から自由で尚且つすこぶる写生味が豊かとしています。実際には、これを現代のマンガだと言われても、間違えるだろうと思う。そして時代は「(縄文・弥生の)皆の絵」から「有力者の絵(古墳から戦国時代まで)」へ移っていきます。それでも、土器・瓦・煉瓦・木片・建築部材にある絵に、庶民の心・美意識・祈り・願い・欲望を読み取れる、のだと佐原真さんは言うのです。高松塚古墳絵画に代表される「有力者の顔」はおしなべて鼻と口の間を人中でつないでいます。基本的に庶民絵画にはそれはありませんが、宮城県山王の土師器(8世紀)には、それがあり、庶民も「上等な絵」を真似たのだろうということです。 また、佐原さんは原始絵画と現代民族画や児童画、近現代の芸術画と比べてみたりしています。すると多くの原始絵画が、世界中の子どもたちの絵と似通っているのです。人や動物・建物などの特徴を掴んで単純な形で表すこと、人はいつも正面を向く、画面全体を地面・水面・床とみなして、人・動物・家などを上下左右に平面的に広げて描く、奥行きがない、おまじないとか重なりがある場合は特別な意味を持ったとき、大切なものを大きく描く、上下展開画も、内倒し外倒しも、放射状展開画も、円周にそう展開画も、レントゲン画も、多時点画も、多視点画も一視点画も、全部、児童画にもありますし、一部ピカソも多用しました。 言葉を発しない絵から多くのものを読み取ろうとする佐原さんや春成さん。佐原さんはすでにいない。新たな研究者が出て来て欲しい。
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