鍵のかかった部屋 の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ポール・オースターの初期作品であるニューヨーク三部作(「ガラスの街」、「幽霊たち」、「鍵のかかった部屋」)の最後を締めくくる作品です。これら三作品のテーマは同じです。いずれの作品でも主人公は謎を解こうと誰かを追いかけるのですが、一向に謎は解かれることなく、追いかけているつもりが逆に相手から追われているようになって、あるいは追いかけている相手が自分自身であるかのように思われて、自らのアイデンティティーを蝕まれていくのです。 三部作のうち「ガラスの街」や「幽霊たち」はやや実験的過ぎるきらいがあります。一方、「鍵のかかった部屋」は正統派の小説です。ストーリーの運び方のうまさ、エピソードのはめ込み方の巧みさ、文章の洗練度合いなどの点で、三部作の中でも抜きん出ていると思います。 この短めの作品にはオースターらしさがぎゅっと詰まっています。彼の作品の常套手段である「作中作(物語の中に別の物語を潜り込ませる)」という手法は、ファンショーの残した小説や手紙という形で、この作品でも効果的に使われています。また、主人公が他の登場人物の影を追いかけて深みにはまって行くというストーリー展開は、後に書かれる「リヴァイアサン」や「幻影の書」とも通じるものを感じます。 ところでこの作品中で出版社のスチュアートは、ファンショーが実在の人物ではなく主人公の「僕」が創り出した架空の存在ではないかと疑います。これはありえることでしょう。「僕」は独白します。── “鍵のかかった部屋のドア、それだけだった。ファンショーは一人でその部屋の中にいて、神秘的な孤独に耐えている。〔中略〕いまや僕は理解した。この部屋が僕の頭蓋骨の内側にあるのだということを” いやむしろ、ファンショーも「僕」もともに、オースター自身の頭蓋骨の内側にあるのでした。彼らはオースター自身の分身でもあります。タンカーの乗組員となり、フランスで暮らし、詩・小説・批評を書いたというのは、オースターの実人生そのものですから。だとすればこの小説の最後の場面は、ニューヨーク三部作で作家としてデビューしたオースターが、それまでの自分と訣別し新しく出発することの「記念碑」として書いたもののようにも思われます。
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失踪した友人の手がかりを追って探していくうちに、少しずつ少しずつ自分を見失っていく。 親友の才能への嫉妬や妻への後ろめたさ。 追い詰めて行っているようで、逆に自分の内側に追い詰められていく。 読み出したら止まらないのはなぜだろう。
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ニューヨーク 3 部作のトリを飾る本作、 「ガラスの街」「幽霊たち」とは独立した全く別の話であるが、 でも見事に繋がっているんだなぁ。 この順番で読むのがやはり良いような気がする。 決してエンターテインメント作品でないのにドンドン読んでしまう、巧い。 自分が自分であると当たり前に...
ニューヨーク 3 部作のトリを飾る本作、 「ガラスの街」「幽霊たち」とは独立した全く別の話であるが、 でも見事に繋がっているんだなぁ。 この順番で読むのがやはり良いような気がする。 決してエンターテインメント作品でないのにドンドン読んでしまう、巧い。 自分が自分であると当たり前に信じてきた前提が崩壊するとき、 我々は鍵のかかった部屋を上手く見つける事が出来るのであろうか。 自分と他者、追うものと追われるもの、見張るものと見張られるもの、 書くものと書かれるもの、うーん分からなくなってきた。
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ファンショーって本当にいるの? "僕"も本当にいるの? どんどん迷宮に入っていってしまう。 でも好きです。 最後まで一気読みです。 最初から本題に入るのも好きです。
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主人公のもとに、昔の友人ファンショーの妻があらわれ、友人が失踪したこと、友人ののこした原稿を主人公に渡しその出版を主人公に託すという伝言をうけとる。 ファンショーの書き残したものを出版し、同時に彼の妻と再婚した主人公のもとに、「自分をさがすな、見つけたら殺す」「妻をたのむ」とファ...
主人公のもとに、昔の友人ファンショーの妻があらわれ、友人が失踪したこと、友人ののこした原稿を主人公に渡しその出版を主人公に託すという伝言をうけとる。 ファンショーの書き残したものを出版し、同時に彼の妻と再婚した主人公のもとに、「自分をさがすな、見つけたら殺す」「妻をたのむ」とファンショーから手紙が届く。 ファンショーが生きていることを確信した主人公は、彼の伝記を書き記すという名目でファンショーを探しはじめるが、自分のなかにあるファンショーに対する憎しみに気付き、ひどい混乱におちいっていく。 ファンショーの失踪の理由は明かされることなく、ミステリアスな展開に吸い寄せられた。 静かに進むストーリー。音のない部屋で読みたい。
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★気持ちを静かにかきまぜる★起伏のある物語が音もなく進む。オースターの小説は、BGMを消したような静けさのなかで進む。自分のなかの見えない自分(鍵のかかった部屋)を他人に投影し、いくら探しても結局は見つからない。そんなことを意味しているのだろうか。この本を読んだのは何度目かに違い...
★気持ちを静かにかきまぜる★起伏のある物語が音もなく進む。オースターの小説は、BGMを消したような静けさのなかで進む。自分のなかの見えない自分(鍵のかかった部屋)を他人に投影し、いくら探しても結局は見つからない。そんなことを意味しているのだろうか。この本を読んだのは何度目かに違いないが、足の落ちつけ場をなくしたようなそれでいて焦りはない一風変わった不安な気持ちに、またなった。
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現在、人生で何度目かのオースーター熱が再燃中。でも最初にハマったのがこれだった。読み始めたら止まらなくて、仕事中も資料のフリをして読んだり、無理に外出する用をつくって移動の電車内で読んだりした。強烈な「吸引力」がある小説。読み進めていくうちにゾワゾワと怖くなってくる。正直ラストは...
現在、人生で何度目かのオースーター熱が再燃中。でも最初にハマったのがこれだった。読み始めたら止まらなくて、仕事中も資料のフリをして読んだり、無理に外出する用をつくって移動の電車内で読んだりした。強烈な「吸引力」がある小説。読み進めていくうちにゾワゾワと怖くなってくる。正直ラストはちょっと肩透かし感もあるけど、いろんな解釈が可能になって逆に良かったのかも。
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失踪した友人を追う僕が壊れてく・・というのはおもしろい設定だと思ったけれど、全く物足りなく何度も寝かかった。自己の中の他者性かぁー。それにしてはーーなんだか期待はずれ
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オースターの作品を始めて読んだ時、ダンボール箱を積み上げたような作品だと思った。それまで、村上龍のような意図的に過剰なダイアログを多用した作品を好んできた私にとって、必要最少言語で書かれる物語の美しさは、新鮮な驚きだった。これは、アゴタ・クリストフやタブッキの小説にも通じるものだ...
オースターの作品を始めて読んだ時、ダンボール箱を積み上げたような作品だと思った。それまで、村上龍のような意図的に過剰なダイアログを多用した作品を好んできた私にとって、必要最少言語で書かれる物語の美しさは、新鮮な驚きだった。これは、アゴタ・クリストフやタブッキの小説にも通じるものだと思う。私の読書傾向を根底から変えたのが、オースターであり、尊敬すべき訳者、柴田元幸である。
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