世界史拷問処刑博物館 の商品レビュー
人はどこまでも残酷になれる。 ある一定の地点を超えてしまうと、人が死んでいくのが面白くてたまらなくなるのだろう。 第ニ章の拷問処刑博物館では、拷問の種類がわかる。 生き埋めなんて生ぬるいんだな、とだんだん感覚が麻痺してくる。 四つ裂きなどは有名な方法で、四肢を馬にくくりつけ、四...
人はどこまでも残酷になれる。 ある一定の地点を超えてしまうと、人が死んでいくのが面白くてたまらなくなるのだろう。 第ニ章の拷問処刑博物館では、拷問の種類がわかる。 生き埋めなんて生ぬるいんだな、とだんだん感覚が麻痺してくる。 四つ裂きなどは有名な方法で、四肢を馬にくくりつけ、四方に走らせるというもの。 でも、これだって、すぐに命は消える。不眠責め、象に踏ませる、駿河問い、蛇責め、死体責め… 血が凍るとはこういうことを言うのだろうか。 でも、それにしたってよくもまあ、これだけの方法を編み出したものだ。 キリスト教に関係する絵画で、ある持ち物が、特定の人物を指すことがある。 聖カテリナは有名で、彼女ののアトリビュートとして車輪が描かれるが、それは彼女が死んだ時に使われた拷問道具。 それは知っていたけれど、自分が死んだ時に使われたものを永遠に描かれるなんて、と私は思うのだ。 三章では、拷問処刑を愛した権力者たちとして、有名なネロ、ブラド・ツェペシ、エリザベート・バートリなどが登場する。 呂太后や則天武后などは近年の研究で、残忍な面以外に光が当てられているが、果たして……。 こうしてみてみると、時を経るごとに人類は穏やかになっていったように見える。 けれども、本質的に残忍な面も持ち合わせていて、それは普段意識しなくても、やはり隠しきれない。 誰もが、人ならずとも、壊したり、痛めつけたりすることのあの爽快感に覚えがあるはずだ(自分に向かない限り)。 人間とは恐ろしい。 しかし、悪であるからこそ、そうならないように、発現しないようにできるはずなのだ。 そのために必要なのは、まずは己の中にあるサディズムを認識し、それを認めること。 その上で、どうしたらその怪物を抑えられるかを絶えず模索し、己と、他人を教育していくしかない。 将来はAIが人を抑えてくれるのか。 変われるのか。 でも、その時にはすでに人などいらないかもしれない。
Posted by
著者の本から引用されたものが多くて、桐生操の本を読んだことがあるならおすすめはしません。 でも好き。
Posted by
- 1