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テレジン収容所の小さな画家たち詩人たち の商品レビュー

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2021/07/02

アウシュビッツ絶滅収容所への中継地テレジン収容所、ここに強制収容されたユダヤ人9万人のうち、親と引き裂かれた10-15歳の子どもたちは15000人、戦争終結まで生き残ったのはわずか100人でした。アウシュビッツへ列車輸送されるまで期間、先生の教えで楽しかった日々の絵、辛い状況を描...

アウシュビッツ絶滅収容所への中継地テレジン収容所、ここに強制収容されたユダヤ人9万人のうち、親と引き裂かれた10-15歳の子どもたちは15000人、戦争終結まで生き残ったのはわずか100人でした。アウシュビッツへ列車輸送されるまで期間、先生の教えで楽しかった日々の絵、辛い状況を描いた絵や作文などが戦後奇跡的に発見され、プラハの「チェコ国立ユダヤ博物館」に保存されました。野村路子著『テレジンの小さな画家たち』をもとに、子どもたちの命のメッセ-ジとして新たな画集として出版された魂の叫びの書です。

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2019/03/31

深緑野分さんの「ベルリンは晴れているか」以来、ナチス政権関連の書籍を読んでいる。(政権に対してではなく、その犠牲者ユダヤの人々について) ドイツのテレジンに作られた収容所は、主に西ヨーロッパ諸国のユダヤ人たちをアウシュビッツに送り込む中継地として使われていました。 その中で、子供...

深緑野分さんの「ベルリンは晴れているか」以来、ナチス政権関連の書籍を読んでいる。(政権に対してではなく、その犠牲者ユダヤの人々について) ドイツのテレジンに作られた収容所は、主に西ヨーロッパ諸国のユダヤ人たちをアウシュビッツに送り込む中継地として使われていました。 その中で、子供たちのための絵の教室が開かれました。 貴重な紙や筆記用具で、子供たちは様々な絵をかきました。 神がなくなると大人たちは命がけで紙を集めてきました。 書類の紙、ごみ箱から拾ってきたしわくちゃの紙、箱のふた、子供たちはどんなものにでも描きました。 きれいな花、自由に飛び回る蝶、楽しかった家庭、優しいお母さん、書いている時だけ寂しさや悲しみや空腹を忘れられたのです。 それらの絵には、名前と生年月日とテレジンからどうなったかが記されています。 ほとんどの子供はアウシュビッツでその短い生涯を終えています。 わずかな生存者によってそれらは保存され、詳細が語り継がれています。 子供たちが絵の中に描いた、楽しかったこと幸せな出来事はほとんどがかなわないままで終わってしまいました。 いつの戦争もどんな戦争も、子供が犠牲になるのはかなしい・・・

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2018/02/18
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2/2に読了した『アウシュヴィッツの図書係』のあとがきで紹介されていた本 主人公のモデルになったディタ・クラウスさんの絵も収録 ホロコーストで殺された子どもたちの数は150万人。 残されていたのは、子どもたちの絵が4000枚、詩が数十編・・・ そして、生き残った子は、わずか100人・・・ 戦争がおこると、戦争がなぜ起こったかすら理解できない、なんの罪もない幼い子どもたちも無惨に殺される。 現実に起きたこと・・・ なんで同じ人間なのにここまでできるのか・・・ 掲載されている絵や詩に記載されている作者の名前、生年月日、そしてアウシュヴィッツへ送られた日付が胸を締め付けます・・・ そして未だにまだ戦争は起きている・・・ 沢山の子どもたち、大人にも読んでほしい書籍 この凄まじい出来事を知ったら、つまらないことで人を簡単に傷つけてはいけないことを感じられると思う 収容所で描かれた、作られた、絵、詩の掲載だけでなく、 ユダヤ人虐殺にまつわる言葉や、状況などの解説も沢山記載されている 【覚書】 プラハにあるチェコ国立ユダヤ博物館に、子どもたちの絵と詩は保管されている フリードル・ディッカー先生の絵の教室 (1944年10月16日 30人の子どもたちとともにアウシュヴィッツへ送られる) ホロコーストという言葉の意味 もともとは「焼いて神殿に供えられる犠牲」 第二次世界大戦後、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を意味する言葉としてひろく使われるようになった 第一次世界大戦敗戦後のドイツでヒトラーが台頭し、当時ヨーロッパに住んでいた1000万人以上のユダヤ人(それぞれの国に根を下ろし、政治、文化、経済などの各方面で力をもつ人も多かった)を邪魔に思い、ユダヤ人排除を始めた 胸に黄色いダビデの星 ユダヤ人の定義「両親の片方、祖父母のうち一人でもユダヤ人であれば、その子、孫はユダヤ人である」 ゲットー ユダヤ人だけを集めて生活させる区域 1939年第二次世界大戦勃発 1941年テレジン収容所(アウシュヴィッツへの中継地)がつくられる 1942年ユダヤ人絶滅計画実行開始 1945年終戦

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2017/01/24
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「アウシュヴィッツの図書係」を先日読了し、そのあとがきの中で紹介されていた一冊。この本の訳者の方が日本で紹介したいと編まれた本のようです。 子供たちの残した絵をぜひ見てみたいと思って覚悟を決めて手に取りました。 これは分類的には絵画や芸術になるようですが、もうノンフィクションとしか言いようがないと思います。評価も最低なのではなくできない、というのが正直なところです。 日々の生存も危うい環境の中で、これだけの色彩や表現の豊かな絵や詩を描いていたということに心の底から驚きを感じました。幼くても、人間が生きるということにかける凄まじい本能がしっかりと息づいていることに頭が自然と下がる思いです。 この絵を描かせるために命を懸けてクレヨンや鉛筆などの筆記用具、紙を隠して持ち込んだ大人たちの勇敢さ、偉大さ。 そしてこれを燃やさせてはいけないと命がけで作品を隠し続けた人、火の中からこっそりと持ち去って隠した人…もうこの作品たちはありったけの勇敢さと真心と奇跡の証明のようなものです。宝、というのは真実こういうもののことを言うのだろうなと思わされます。 絵や詩に添えられた作者の名前と生年月日、そしてわかる範囲でのその顛末を迎えた日にち。「××年×月×日 アウシュビッツへ」などと書かれているのを見ると言葉もなくします。どの絵や詩に添えられた年月日もたどると本当に10代やそれに満たない子供たちであることがわかるのです。 その作品たちの中にわずかに「生存」と言葉が添えられているのを見つけると本当に少しだけ救われた気持ちがしました。 生還された方のインタビューもありますが、凄まじい内容です。想像することもできない壮絶さです。 でもこの1冊は地獄の中の希望。子供たちの生の証をたくさんの人に見てもらいたいです。

Posted byブクログ