筒井康隆の文芸時評 の商品レビュー
小説の楽しみ方につい…
小説の楽しみ方について違う観点を気付かされる1冊でした。そのほかにも書き方や読み方にもふれているし、毒舌批評を堪能できました。ごちそうさまでした。
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普段のイメージではと…
普段のイメージではとても筒井さんとは結びつきが無いような作家の書評もある意外性が快感です。
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著者独特の毒舌文藝時…
著者独特の毒舌文藝時評!!『文学部唯野教授』で示した批評論は踏襲されているか?
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1993年に雑誌『文藝』に4回に渡って連載された、著者の文芸時評をまとめた本です。なお、この間に著者の「断筆宣言」があり、その経緯についても著者自身が語っています。 冒頭から、現代の文学と批評の両方にまたがる問題が指摘されます。凡庸さ、凡俗さを隠すために文学と批評がますます「秘...
1993年に雑誌『文藝』に4回に渡って連載された、著者の文芸時評をまとめた本です。なお、この間に著者の「断筆宣言」があり、その経緯についても著者自身が語っています。 冒頭から、現代の文学と批評の両方にまたがる問題が指摘されます。凡庸さ、凡俗さを隠すために文学と批評がますます「秘教的」になり、その結果、内容は二の次で、表現方法、形式、文体、言語などの斬新さという尺度のみに基づいて、文学・批評の評価がなされていると著者は言います。このような傾向は、文学を単なる技術に貶めるものにほかなりません。こうした著者の問題意識は、松本徹の「比叡の滝」や多和田葉子の「犬婿入り」が「方法論によるお稽古ごと文学」になっていると指摘するところにも見られるように思います。 これらの作品と比較して著者が高く評価しているのは、笙野頼子の「増殖商店街」です。これは夢についての小説ですが、著者は夢の話に読者を引き込むためには、なぜこの人物がこんな夢を見たかということを読者に納得させるための「額縁」が必要だと述べて、笙野の作品はこの「額縁」を小さくする試みであり、著者自身の「家族場面」の中で、この技法が「アメーバのように増殖」されることになった経緯が語られています。 こうした著者の叙述からはっきりと分かるように、著者の文芸批評的実践とは、小説を囲い込んだ上でその小説「について」語ることではなく、小説の方法論的な冒険をさらに過激に推し進めていくことにほかなりません。あるいは、小島信夫の「殺祖」の中で、まさに著者のおこなおうとしているこうした実践が、当の小説の中で過激に推し進められていることを著者が発見し、「この面白さは説明するよりもパロディにすればたちまちわかってもらえるのだが……、しかしながらその面白さの仕掛けは原典たる「殺祖」ですべて仕掛けられている以上おれが書いてもそれはパロディにはならず倒錯になってしまう」と語っていることも、こうした解釈を裏付けているように思います。そして、もしこの通りなのだとすれば、この文芸批評がおこなっているのは、著者自身が小説でやってきたこととまったく同じなのではないかと気づき、ひとり納得してしまうのですが、次の瞬間には、こうした「納得」がまさに著者の嫌っている「方法論」の固定化であり、著者の作品を囲い込む振る舞いにほかならないと気づく……というわけで、著者の本を読んでいるときにいつも読者が身を投げ入れることになる、メタ・レヴェルへと遡行していく例の構造に、ここでも絡み取られてしまうことになります。
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再読。 文庫版のあとがきは初めて読んだけど、筒井康隆自身が自分の評論の語りの速さを分かっててなおかつそこに注意して読めって言ってるのは親切だ。この評論ほど文学のおもしろさを感じ取る術を教えてくれる評論はないんじゃないかな。
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再読。何度目になるかは知らない。 読みの技術を盗むにはもってこいの本で、というか、そもそも技術を盗ませようという意図でもって書かれている感があるので、何かに行き詰まった時に開くと、その度にヒントを与えてくれる。 解説で柳瀬さんが書いているように、スピード感に感情移入して読め...
再読。何度目になるかは知らない。 読みの技術を盗むにはもってこいの本で、というか、そもそも技術を盗ませようという意図でもって書かれている感があるので、何かに行き詰まった時に開くと、その度にヒントを与えてくれる。 解説で柳瀬さんが書いているように、スピード感に感情移入して読めば、とりあえず面白がり方について、色々な姿勢を学ぶことができるのではないでしょうか。 本文中で「哲学だって一種の面白さなんですよ」と言い切ってくれるところが心強い。面白さに全て回収されていくことをあえて恐れない姿勢が大事というか、面白くなさを何かのアンチテーゼとして神格化するような発想を回避することが大事というか、とにかく、面白くなければ本など読んでいないし、そこに幾度も立ち返らなければならないし、それに怯えているようでは言葉に対する姿勢までもが弱々しくなってしまいかねないということを、何よりも危惧するようでなければいけないということです。おそらく。 読み巧者ぶりをひけらかしなさい、それが面白いんだ、という助言も力強いですね。批評が作品の面白さを再現してもいいのだ、むしろするべきだ、というのも。自分が何かを書く時も、常にそうありたいものです。
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15年以上前の文芸時評ではあるが、古本屋で50円で売っていたこともあって読んでみた。 中で紹介されている小説はほぼ全て読んだことがないものの、ひとまずこの時評自体が読み物として面白い。紹介されていた小説の中でいくつか興味を引かれるものもあったので、時間が出来たらこれを頼りに探...
15年以上前の文芸時評ではあるが、古本屋で50円で売っていたこともあって読んでみた。 中で紹介されている小説はほぼ全て読んだことがないものの、ひとまずこの時評自体が読み物として面白い。紹介されていた小説の中でいくつか興味を引かれるものもあったので、時間が出来たらこれを頼りに探して読んでみようかと思う。 因みに、著者の断筆宣言の経緯も少し書かれてあった。そんなことがあったということ自体はどこかで耳にしたような記憶があったものの、その理由などについてはこれを読んで初めて知った。 まあ、色々書き連ねて愚痴を言っているようなものではありますが。
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「面白い小説の評論は面白くなければいけない」という筆者の考えがひしひしと伝わってくる。最終章には断筆宣言の理由が事細かに書かれている。
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