一人の男が飛行機から飛び降りる の商品レビュー
微妙に辻褄が合わない感じとか、明らかにおかしい前提を平然と受け入れて行動してしまう感じとか、絶妙に夢らしい話が多い。 最近自分では滅多に夢を見なくなってしまっていて懐かしさすら感じる。 飛び降りる話は漱石の夢十夜の第七夜を思い出した、落下する夢には何か共通する背景があるのだろう...
微妙に辻褄が合わない感じとか、明らかにおかしい前提を平然と受け入れて行動してしまう感じとか、絶妙に夢らしい話が多い。 最近自分では滅多に夢を見なくなってしまっていて懐かしさすら感じる。 飛び降りる話は漱石の夢十夜の第七夜を思い出した、落下する夢には何か共通する背景があるのだろうか。
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つじつまを考えて読んではいけない。 シュールで不条理なショートストーリー。 まさに、『たのしい悪夢』である。 細かい描写なのでイメージしやすいとは思う。 ただ毎日少しずつ読むのはいいけど、連続して読むと疲れる…ww
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柴田元幸さんのあとがきより。 ~引用~ トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは、ユアグローの小説について、「デューク・エリントンの曲のなかでも僕がとりわけ気に入っている一連の歌のように、そこでは崇高と滑稽が合体している」「自分の夢をどうしても覚えていられない僕にとって、ユア...
柴田元幸さんのあとがきより。 ~引用~ トーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンは、ユアグローの小説について、「デューク・エリントンの曲のなかでも僕がとりわけ気に入っている一連の歌のように、そこでは崇高と滑稽が合体している」「自分の夢をどうしても覚えていられない僕にとって、ユアグロー氏の小説は格好の代用品である」といったコメントを寄せている。あるいは、「フランツ・カフカとモーリス・センダックとモンティ・パイソンが一緒になって夢を見ているような」という出版社の宣伝文句にしても、売り込み側のホラとしては、結構説得力のある部類に属すと思う。(p.313)
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アガサ・クリスティの創造したミス・マープル程ではないけれど、何かが身近なものに似ているなあと思うことが多い。ひょっとすると他人よりもそう思うことが多いのかも知れない。本を読んでも、ああこれは誰々のあの本に似ているなあ、と思ってばかりいる。もっとも、自分が似ていると思う感覚はどうも...
アガサ・クリスティの創造したミス・マープル程ではないけれど、何かが身近なものに似ているなあと思うことが多い。ひょっとすると他人よりもそう思うことが多いのかも知れない。本を読んでも、ああこれは誰々のあの本に似ているなあ、と思ってばかりいる。もっとも、自分が似ていると思う感覚はどうも少しずれているらしくて、ある人を見て誰それに似ているよね、と周りの人々に賛同を求めても、すっきりとした同意を得られることはまれである。自分はなんでも、うっすらとした類似性を取り立てて、似ている、ということが多いらしい。そんな風だから、自分が何かに似ているなあという時、その感覚が万人の賛同を得られない感覚であることは、一応認識している。 まして小説については、自分はまじめな文学愛好者であったことはないと自覚しているし、充分な読書量がある訳でもないので、自分が誰かの何かに似ているという時、極々限られた見識の中のかなり穿った意見ではあると思う。そう断った上でやはり思うのだ。バリー・ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」はミシェル・レリスの「夜なき夜、昼なき昼」に似ていると。 決してバリー・ユアグローがシュルレアリスム(頭の中にこびりついている言葉としてはシュールレアリズムなんだけれども)に連なる作家であると言っている訳ではない(もちろんこの本はほんとうにシュールだけれど)。レリスの「夜なき夜、昼なき昼」に収められた文章群が一つとしてどこへも行かないように(だから、自分は時々眠れない夜にこの本をパラパラめくってみたりする)、ユアグローのこの超短篇たちも決してどこかへ向かって行くことがない。ある意味でこれはアネクドートのように、それが再現された空間でのみ生まれ、ぱっと消えていく定めを持ったものだとも思うのだ。 エリスが「夜なき夜、昼なき昼」で、夢を見たことをなるべく脚色せずに「そのまま」書くことを意図していたとしても、出来上がった文章たちは、無意識のうちにベッドを抜け出てきちんと着替えをしている印象がある。もちろん、エリスが生の身体を理性のようなもので隠してしまう、あるいはあいまいにしてしまう、のに対して、ユアグローはわざわざ無意識の着衣をひきはがして、これでもかと生の身体を目の前にさらけ出そうとするので、随分異なっていると言えば言えるのだけれど。それでも、無意識のうちに隠そうとしているか、意図的にさらけ出そうとしているかの違いはあるけれども、二人の作家が書いていることの根源は同じ事だろうと思うのだ。それは、アネクドートが生まれる理由とも同じなんだろうと思う。 そう言えばどこかで村上春樹が、風俗は善でナチュラル、って言っていたような気がするけれど、それもきっと同じことを言っているようにも思う。 どの話も教訓めいたところもなく、起承転結がある訳でもない。むしろ結はどの話にもない。一つ一つ読み終わる度に訳が解らずあれこれと思っている内に、頁は進みますます訳が解らなくなる。でも、一見するととても特殊な世界の話のようでいて、そこにあるものはいずれも人間の根源的な衝動が仮面を被っているだけであることが見えてくる。ユアグローを読んでいると、人間というものが以下に日頃、様々なリビドーを抑え込んで生きているのが意識させられる。何とも厄介なことであることよ。 そういえば、レリスの「夜なき夜、昼なき昼」も、ユアグローの「一人の男が飛行機から飛び降りる」も、読むきっかけは川上弘美の書いた文章だったのだが、彼女の異界の話、特に「溺レる」(例えば海岸でたこに「おもられる」話など)なんて、どこかしらユアグローと似た手触りがある気がする。って、また誰の賛同も得られないだろうけれど。
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実は、この本まだ読み途中。 一気に読むには、もったいなさ過ぎる! じーーーーっくり、何年もかけて、読むのだ。 面白すぎて、ひっくり返るわーーーー。
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自分の夢を覚えられない人に、ユアグローの小説は格好だ。それは「楽しい悪夢の再生装置」。奇想天外な状況と、現実感が絶妙にマッチした149の超短編集。おもしろくてちょっと不気味な夢の小宇宙。
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