ソクラテスのカフェ の商品レビュー
カオスと秩序 140530 結論から言うと金太郎飴のようにどこで切ろうと 全体と部分の関係を見せる無限性こそが神とも 呼ばれるモノなのであろうか 最も秩序だった状態とはどんな姿なのかといえば それは多分無理のない真球体ではないだろうか 完璧と呼べるのは唯一無二の状態だろう そ...
カオスと秩序 140530 結論から言うと金太郎飴のようにどこで切ろうと 全体と部分の関係を見せる無限性こそが神とも 呼ばれるモノなのであろうか 最も秩序だった状態とはどんな姿なのかといえば それは多分無理のない真球体ではないだろうか 完璧と呼べるのは唯一無二の状態だろう そしてお互いに相手を持つ相対関係においては 在り得ない状態なのではないだろうか この究極こそ一神教が生まれるゆえんなのかもしれない そして又その究極は姿形を持ち得ないはずだ 姿形は秩序が歪むことでのみ可能だと思えるからである カオスこそがその『究極』なのかもしれない 混沌の究極こそが無という環境なのではないだろうか それに対して秩序界こそが真の秩序を求めてやまない 部分性同士が寄り合う不完全な相対界なのではないだろうか この姿形を持つことでのみ全体観つまり 「無」という環境を透かし見ることができるという パラドックスによってのみこの混沌なる究極の神とも呼べる 姿なき姿を創造できるのではないだろうか そしてこの神とはつまりこの世の一刻一刻における すべての部分をかき集めた集合意識体であり 俗に精神と読んでいる状態なのではないだろうか 更に歪むことで生み出された姿を持つモノとは 意識が実体感を得るための実験装置であり その頭脳を動かしているものは 例えるならば反射神経のような部分感であって その自分という肉体を観察しているのが 全体観という集合意識に通じる個意識体なのだろう この世のすべては部分とその集合である全体という関係の 入れ子状態の連鎖であり 集合意識というあの世と連動しながら 更に無限性を持って完璧なひとつ身であるゼロを 創造しているのだろうと思えるのである 五感は摩擦を伴う姿形を持つが故に生まれる実態感覚が 自分を理解するための手段であり そのことによって意識はデーターを集め成長していき 全体観を描き出していく 相対する同士の距離感の取り方次第で 痛いという不快と感じるのも 心地よいという快感と捉えるのも その個性体と個性体の状態によって起こる 関係性なのではないだろうか その関係性が対立した状態で起こるのが不安恐怖による 相手と自分を見失うことにで起こる不快であり それが適度な摩擦状態の細かい振動の調和に近付くほど 回るコマのような動的安定を得て 満たされた心となる快感を得るのであろう 調和とは一体となった全体観そのものではなく 個と個が自律した別々の状態を維持しながら お互いを理解して分け合う関係にあることを言う 西洋的な分析化学に覆われた世界の現状における哲学とは 一神教的発想に偏った思想だといえるだろう それは相対性で成り立つ時空間の物質性のみに固執して 意識性を無視したことで起こる混沌なる闇の中の こじつけのように見える 「ソクラテスのカフェと言うこの本の 著者であるマルクソーテも残念ながら 全体観を欠いて五感だけの部分に溺れた ヒトリヨガリの上から目線でこの世を傲慢に見下して 左に寄った一人に過ぎないように思える」
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